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形態学

カバラの学びを進めています。
その中で必須講座である、「形態学」という原初の型をイメージワークを使いながら自身で体験していくという学びが始まりました。
先ほど、1回目の「グリッド1、グリッド2」の学びが終わったところ。

たった2つの型を体験しただけですが、本当に奥深くて、講座中もニヤニヤが止まりません。知る、って楽しい。シンプルな学びほど奥が深い。
学びを進めながら、あらゆる展開と気づきが舞瞬舞瞬で起こっています。
今日体験した「2」という数字の中に表れた、私の女性性と男性性の話が夫婦の痴話喧嘩のように痛快で笑えました。

私の中の男性性は女性性に対して、
「何もしなくていいんだよ。人より繊細で、あらゆるものを受容できるくらい柔らかい肌と骨格。素晴らしいものを持っている。そのままを知って、ただそこに在るだけでいいんだ。」
と言う。

そうしたら私の中の女性性はなんと男性性に向かって
「あなたがもっとしっかりしてくれないから私が頑張ろうとするんじゃない。弱いのよ。」
と喝を入れ出したんです笑

男性性はしどろもどろに
「そうか、俺がもっと姿を表さなきゃな」
と渋々、嫌々に表に出ようか、というあたりで喉元につかえを感じました。
その声は「目立ちたくない」、そう言います。
その原点を辿ってみると幼稚園時代が現れました。

3歳の私はトイレに行きたいのに言えず、催す感覚もあまり掴めておらず、園舎の中でおもらしをしてしまう事がありました。
小さな私は「間違えちゃったの。」そう言います。
そう。彼女は、ただ間違えちゃっただけ。
失敗してしまっただけで実にシンプルに間違えたことを理解しています。
だけれど周りの好奇な視線をとても嫌がっていました。
周りの子供達に声かけをすると、彼らも理解して散り散りに遊びに戻って行きます。
小さな私は安心したようで、「もう大丈夫」といい、笑顔でお友達のところへ走って行きました。

実は、昨夜に約5年ほど前にお世話になったエネルギー療法家の先生が主催するお話し会に参加していました。
初めて彼の施術場所へお邪魔した時に選んだ題材が「人前で目立ってもいい」でした。そしてラジオニクスという波動転写装置で設定を書き換えるという修正を当時行っていました。
そして昨日は5年振りに再燃したラジオニクスのお話会へ参加。
5年振りに再会した方もいれば、過去の体験を回想する私が居たばかりです。

まさかおねしょの記憶が私のそれと結びついていたなんて。

自分自身の課題として、
ある程度良いところまでは行くが、伸び悩む。
そのポイントが私の男性性と強く結びついていることに気がついていました。
もしこのタイミングで過去が許され、
そして私の男性性が女性性に向かって
「俺がデカくしてやるから、あとはそこでじっと待っているだけで良い。」
と言ってくれたら、これほど頼もしいことはありません。

過去よりも私自身の男性性は活動できている、と思っていましたが、
なんとなく条件付きというか、作り込まれた男性性だったような気がします。
私の中の男性性がこれからどのような姿を表してくれるのか
見届けるのが楽しみになりました。

明日はそれぞれの体を見ながら、タイプ診断をしていくワークになります。
自分の中での体験が全ての答えだから、正解不正解がなく、とても奥深いレッスンです。私にはとても合っています。

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