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ライブハウスで世界が変わった瞬間。

初めてライブハウスに足を踏み入れたのは、中学三年生の時だった。
壁中に貼られたチラシ、タバコの匂い、薄暗い照明。「悪いこと」をしているような感覚が堪らなかった。

どうしても行きたいと、誕生日プレゼントにライブチケットを強請った。当時は電話でチケットを取った記憶がある。わたしは田舎町に住んでいたし、ライブなんて考えたこともなかった。けれど、わたしの大好きなバンドが、わたしの誕生日近くに、わたしが住んでいる県に来る。この機会を逃したら生では観れないかもしれない。

わたしは必至に訴えた。ライブに行かせてくれたなら受験勉強だって頑張るかもしれない。絶対行きたい。絶対に行きたい!

当時の母の反応は覚えていない。快くチケットを買ってくれた訳では無いだろう。何せ母もそのライブに行くことになったからだ。ライブ終了予定時刻は21時頃、中学生のわたしだけでは危ないとの判断だった。さらに1時間に1本ぐらいしかない電車に30〜40分は乗らなければならないのも理由のひとつだろう。わたしは田舎に住んでることを呪ったが、それでもライブに行きたかったのでその条件を飲んだ。事実、わたしは今よりずっとずっと引っ込み思案だったので、ひとりでライブハウスに行くのは怖かった。本当は母ではなく彼氏と行きたかったけれど、もちろん反対された。今となってはそれで良かったと思う。

PENPALS

A.F.O.K.2002-2003 TOUR “PLAY ROCKS”

ライブハウスの情報はほとんど覚えていない。わたしが地元(生まれ育った県、と捉えてほしい)でライブに行ったのはこの一回だけだからだ。

中学三年の冬なので、受験勉強の只中だった。放課後は強制的に勉強会みたいなものがあった。わたしは先生に「家の用事がある」と言って放課後学習からひとり家に帰宅、仕事を終えて帰ってきた母と一緒に電車に乗りライブハウスに向かった。
ライブのマナーも何も知らないわたしは、とりあえず赤と黒のロングニットを着て、部活道具を入れていた大きなカバンを持って行った。(蛍光の水色、中は蛍光オレンジ)…ライブうんぬん以前にオシャレからはほど遠い存在だったことは想像していただけるだろうか。

ライブハウスに到着。鳥肌実のポスターを見ながら、不思議の国に迷い込んだアリスのような気持ちになる。(鳥肌実でアリスになれるわたしはどうかしていたが、異空間を思わせるには充分な演出だった。)ここはわたしの知らない世界だ。一歩中に入れば、田舎町の寂れた駅前であるということも忘れる。暗い。放課後学習をサボっているという後ろめたさ、大人になったような興奮、何も知らない恐怖。

もうわたしはライブハウス処女では無かった。

通路になんとなく整列。整理番号は確か17番だったが、番号順に並ぶという知識がないので先に来ていた人の後ろに付く。後から「何番ですか?」と聞かれて番号順に並んでいることに気付いたが、母とふたりもじもじしているうちに開場になった。
中は思っていたよりずっと狭く、ステージはうんと近い。わたしと母は前から二番目、ステージから見て左側に陣取った。コインロッカーに荷物を預けることも知らなかったので、とりあえずわたしの持ってきた大きなカバンに自分のコートと母のダウンを詰め込んだ。するとすぐ近くにいたお姉さんが見かねたのか最前列の柵の内側にカバンを置いてくれた。わたしと母はお礼を言って、晴れて両手が空いた状態になったのだった。

後ろの物販がきになるけれど、前から二番目のこのポジションは死守したい。わたしはまだ誰もいないステージを見つめ続けた。ここに、ここにあのメンバーが立つのだ。

いよいよ開演。
セットリストは定かではないが、アルバム「PLAY ROCKS」そのままだったように思う。購入してから聴き込みまくっていたので1曲目の2006からわたしは奇声を上げた。ここで、わたしの目の前であのアルバムが再現されるのだ。泣いた、かもしれない。そのぐらいの興奮と感動があった。

参考に以下がPLAY ROCKSの曲目である。

1.2006
2.life on the highway
3.inside out
4.wasteless
5.mogul
6.fly
7.rock the sun
8.stick around
9.spyder (higher speed ver.)
10.conga
11.heavy metal
12.life on the way
13.good night there

何故PENPALSが好きなのか、きっかけはよく覚えていない。
けれどもPENPALSがわたしの青春時代の一部を作り、少しの色彩を与えたであろうことは確かなのだ。

ジャンプし続ける足に疲労が溜まっていく。上げ続ける腕に痛みが走る。デタラメな歌詞で全曲歌った。セーターを着ていたものだから暑くて仕方がない。母も途中までわたしと一緒に飛び跳ねていたが、いつのまにか壁際に移動していた。酸欠だったらしい。揺れる視界の中、メンバーの顔なんてしっかり見えない。けれど目の前にいる。何曲目だったか、ギターの弦が切れた。これがリアル。生だからお起こり得ること。わたしの目の前にいる。楽器を演奏している。歌っている。本当に双子なんだ。

ハヤシムネマサは存在していた。

MCはほとんどなかった。(覚えていないだけかもしれないが)しかしそれでよかった。ロックスターよりは身近で、けれども柵の向こうには手が届かない。行ったことはないけれど刑務所の面会のような。(透明な間仕切りに挟まれた向こう側、囚人服のメンバーがめちゃくちゃに演奏してるのを想像した。音楽はドラッグにも匹敵する。なんて罪だ。)

客を煽ったりすることもなかったので、多分、わたし達のことなんてどうだって良かったのだ。
それが最高にかっこよかった。

終演後、荷物をよけてくれたお姉さんはベロンベロンになっていて、床に座り込んで笑い声を上げていた。わたしと母はそっと荷物を取り上げ、そそくさとお姉さんから距離を取った。それこそドラッグでもやってんのか、といった様子にちょっとびびっていた。

物販では欲しかったTシャツは売り切れていた。でも記念になにか欲しかったので、アルバムのジャケットと同じデザインのTシャツを買ってもらった。

外に出て冷たい空気を吸って。現実に戻ったかと思われたが、爆音で完全に耳がやられていて、それがまた夢の中のような気持ちにさせた。(一生このままじゃないよな…?という不安は少なからずあったけれど。)家に帰ってからまた延々とPLAY ROCKSを聴いた。ライブはアルバムの再現だと思ったのに、今度はアルバムがライブの再現になった。

その日の夜はもちろん勉強なんてしないで寝た。

大人になった気持ちでいたけれど、ライブハウスではみんなキッズなのだと、もっと歳を重ねてから知った。音に合わせて飛び跳ねたり、何かそういう開放的で本能的なものがライブだとするならば、確かにわたし達はキッズであると確信する。

All Fun Of Kids!

その後、PENPALSは解散。
初めてのライブから約十年後、わたしはボーカルのハヤシムネマサとついに握手をした。NACANOのライブでのことだった。

そして次の夏、わたしはROCK IN JAPANに来ていた。PENPALS 8年ぶりのロッキンを観に行ったのだ。初めてのライブで買ってもらったあのTシャツを着ている人がいた。なんだか泣けてきた。始まる前に聴こえてきたラヴソングで走り出した。(音出しでやっておきながら、本編ではやらないという技だった。音出し聴けてよかった…)

今になってこれを書いているのは、久々にPLAY ROCKSを聴く機会があったからだ。やはり部分的に朧げにはなっているものの、鮮明に思い出される記憶を記録したいと思ったのだ。

あの時と同じ興奮を、今でも感じられる。
当時のハヤシムネマサの年齢を追い越して、それでもやっぱり大人になんかなれないのだと知った。



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