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拝啓 保育園様

日が変わってしまった。寝て起きたら長男の卒園式です。

親子ともに、初めての卒園式。今の保育園は年少さんから3年間、お世話になりました。任せっぱなしでした。

でも任せっぱなしにできたのには理由があって。

すごーーーーーく良い保育園だったんです。

古いけれど常に管理が行き届き清潔感が保たれた建物と園庭へ続く縁側。子どもたちが縁側から駆け出す姿が好きでした。

名古屋市内とは思えない広さの園庭には保育園の歴史を感じる「王様の木」と呼ばれる大きな木があって、その木陰でお弁当を食べたり。

そして先生たちが素晴らしかった。何一つ不満がありませんでした。むしろちゃんとしすぎていて、申し訳ないなと思うくらい。どの先生が担任になっても、困ることがありませんでした。先生たち個人としても、先生をサポートする体制も、どちらも素晴らしかったように思います。


この理想郷のような保育園。家から歩いて3分ほどのところにあるのですが、ずっとずっと近くて遠い存在でした。

なんせ名古屋は保育園に入れない。(待機児童ゼロと言ってますが、そのへんは数字のマジックがありますので、実際はさっぱり入れませんでした。)特にうちの区は激戦区。1歳の年も2歳の年も第6希望まですべて落ち、育休のタイムリミットが来て月8万円の認可外保育園に通ったり、インターナショナルスクールに通ったりする日々が続きます。しっかり待機児童。日本死ね、を満喫しました。

今通っている保育園の園庭開放に行く度に、なぜこんなに近いのに入れないんだろう。とモヤモヤ。園庭開放で会う子どもたちがすごく楽しそうにしているのも印象的で、さぞ良い保育園なんだろうなと感じ、余計に辛かったのを覚えています。

そのうちに妹が生まれ、二度目の育休へ。抱っこひもで妹を抱っこしながら長男を連れて連日保育園の見学やら、保育園に落ちたときの保険のための幼稚園の見学やら受験やら。保活にもいい加減疲れ、このまま仕事を辞めようかと何度も思いました。

でも兄妹同時入園および、家族に追い打ちをかけた夫の単身赴任が思わぬ加点となり、2018年、ついに兄妹揃って夢の最寄り保育園へ入園。私もその頃勤めていた会社に無事に復帰しました。

そこからのことは、正直あまり記憶がありません。毎日を運営するのに精一杯で、教育がどうとか?しつけがどうとか?食事がどうとか?そんな余裕は無かったです。年少からの3年間、年が変わる度に自分の仕事が変わってしまって、常に新しい環境・新しい生活パターンが発生したので慣れることもできず。

もうどうやって毎日過ごしてきたのか思い出せませんが、唯一確かなのは「この保育園に行っていれば子どもは楽しそうだ」と思っていたこと。

認可外保育園もインターナショナルも、まだ幼かったこともありますが、朝送って行くと泣かれるのが本当に辛かった。最初だけじゃなくて、それがずっと続いたのが辛かった。生活の様子を写真に撮ってくれるのですが、どの写真を見ても表情が固くて。園庭が無くストレスも溜まっていたのかもしれません。

でも今の保育園に入園してからは、最初の数日で泣かなくなって、表情も変わりました。3歳になる歳だったので園であったこともたくさん教えてくれるようになり、(それをゆっくり聞いてあげられるだけの余裕が自分に無かったことは悔やまれますが、)保育園に預けることに罪悪感を感じることはなくなりました。

それまでは朝泣かれる度に、そして会社で子どもの浮かない顔を思い出す度に、仕事辞めたほうがいいのかなと思っていました。

だからこそ、今の保育園で過ごすようになり子どもが楽しんでいることを感じられる生活になってからは、心置きなく精神的に”任せっぱなし”にできる日々が訪れました。


おそらく保育園では珍しく、長男は3年間同じ先生にお世話になりました。先生のことが相当好きなのに、びっくりするほどシャイなのであまりその感情を先生に伝えることは無かったけど、すごく観察力のある先生で、長男の性格も気持ちもよく理解してくれてうまく付き合っていただきました。


今日は先生と過ごす最後の日だったけど、何を話したのかなぁ。

コロナによる自粛時期と自分の起業の時期が重なって、休ませることもできなくて、うちの子たちは去年もずっと保育園に通わせてもらいました。誰よりもお世話になったと思います。


朝9時から夜18時まで × 3年間。親よりよっぽど子どもたちとの時間を過ごしてくれた保育園。この3年間、正直何よりも誰よりも、私を助けてくれたのは保育園でした。


「明日は絶対早く起きてね」と何度も念押しされたので、そろそろ寝ようと思います。明日の卒園式、楽しみです。


保育園様、3年間ありがとうございました!

サポートしていただけたらびっくりします。