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帰る場所。

簡単には会えない距離。会えないわけ、ではない。けれど、会いたいときに会えるほど近くにあなたはいなかった。

はじめまして は大きなターミナル駅。12時10分、電話越しに「どこにいる?」なんて言いながら話したのを覚えている。時間まで覚えているのがなんだか不思議だと思った。

そして、はじめましてのくせにそんな気がしなかったのは、会った直後のあなたの「おなかすいた~」という発言のせいだと勝手に思ってる。あなたが聞いたら、なんだかむすっとしそうだななんて考えて少し笑ってしまった。

楽しい時間は速く過ぎるというのは有名な話だけれど、あれって本当は大切な人といる時間のことなんじゃないかなと思ったりする。
詳しいことはわからないけれど。

あなたはよくSaucy Dogの「煙」を口ずさんだ。あなたは というより、私もか。きっと、あなたがこれを読むようなことがあったら、ふたりともでしょと言いながら笑うのだと思う。
ふたりで口ずさんでは、これって失恋の曲だよなって考えて、この人にもそんな相手がやはりいるのだろうなと思った。

忘れられない人、忘れたくない人、忘れたい人、忘れてはいけない人。

川を眺めながら口ずさんでいる横顔を見て、どれだけの歳月が経てばあなたのことをわかるのかなと目を閉じた。

別れるとき、歯を見せてくしゃっと笑ってから、緊張した顔で話してくれたあなたと小さな約束をした。あれは約束なの?と聞かれそうだけれど、そういうことにしておきたい。
契約とか誓いなんて言ったら、すこし堅苦しいから。

歯を見せて笑ったあなたは、きっと誰がどう見ても素敵で、あぁこの人のこの顔を一番近くで見ていたいと思った。
笑顔にさせられる存在でありたいと思った。
そして、この人の笑顔を守りたいと思った。
どんなにしんどいことがあっても、あなたの嘘のない素敵な笑顔を守りたいと思った。
守ろう、そう決めた日だった。

帰りの夜行バスは22時発だった。そろそろだねと言うあなたに、そうだねと私は言った。涙は出ていなかったはず。泣きそうだったけれど、これが最後でない、そう思えたからバイバイは言わなかった。

いってきます。

そう言った私を、あなたは笑っていた気がする。

でも、あれは冗談でも何でもなかった。いつでもあなたのもとへ帰りたいと思った。欲を言えば、帰る場所になってほしかった。それと同時に、あなたがいつかしんどくてどうしようもなくなったときに、帰れる場所が私であればいいと思った。そんな存在になりたいなと思った。

きっとあの人は、こんなことは知らない。私が何気なく言っている会ったときの「おかえり」も「ただいま」も、わかれるときの「いってらっしゃい」も「いってきます」も。

あなたの小さな、ほんの小さな安心になってくれたらいいなと思った。


#エッセイ

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