noteと自分の距離感
先日からとても体調が良い。
やっぱり精神と体調というのは、強い相関を受けるみたいで、気持ちがかなり軽くなったからか、夕方に一人で全力疾走をしてしまった。というか、できてしまった。他者はやっぱり偉大だ。その予想できないリアクションに傷つくこともあれば大いに助けられることもある。
もう何年か会っていなかった先輩に「朝までギターが弾けるから来ない?」と最高の誘い文句を受けて、音楽とキャンプのイベントにお邪魔してきた。
久々にお酒も飲んでタバコもした。そしてなにより、本当に朝までギターが弾けたし、実際にそうした。
みんなが簡易シャワーに入る中、自分はそれに抵抗があり、ただ、その中自分の頭には、「お風呂に入らなければ、寝てはいけない」という意識がプログラミングされているので、「眠らないこと」を選んだ。一睡もしていないクマだらけの顔にボロッボロの前髪で薄汚いアラサーは、ニルヴァーナよりも本当にグランジだと思う。
夜中の3時くらいに起きてきた人がいた。
「ここで寝ずにずっとギター弾いてたんですか」とちょっと引き気味に言っていて、自分は自嘲気味に目を細め頷いた。
その人とはお昼に軽い会釈をしたくらいでちゃんと話したのは初めてだった。話をしていくと、歳が近く、聴いてきた音楽も、映画も似通っていて、すごく楽しい話ができた。70〜90'sのukロックについて語ったり、色々な他者に対する議論などをお酒を飲みながら、朝6時までした。その後、もう少し寝ますと言ってテントの方へ戻って行った。
「思い出を無くしたら人は生きれなくなるって仏教かなにかで聞いたことがあります」どんな文脈で出てきたか覚えていないけど、その人のこの言葉が、いまだにずっと反芻している。この人にこの時話せてよかったなと、なんだか自分の運の良さに嬉しさがたち込めてくる。
おわり
p.s. noteの更新頻度のちょうど良さを、今推し測っている。気まずい。朝9時にその「思い出〜」の人と会った時の気まずさに似ている。距離を詰めすぎると、一度離れた後の再会は、かなりなんだかバツが悪い。とここでnoteくんにジャブを打ってみる。
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