タイパク10話 虚像を脱せよ

虚像(きょぞう、英: virtual image)とは、レンズや鏡で屈折、反射された光線が実際には像に集まらないが、光線を逆向きに延長すると集まって一種の像を作ることをいう。光線はまるで虚像から発するように見える。レンズによる正立像や、平面鏡の作る鏡像は虚像である。 Wikipediaより

分かりやすい例は眼鏡で、光を屈折させる結果遠くにあるものが近くにあるように見える(=拡大する)というものである。眼鏡を通して虚像を見ているというわけ。

今週のタイパクを通して二種類の虚像が出てきたので今日はその話。ここでの虚像の意味は、虚像(光学)から転じてあり得ないものを見るという虚像(口語)というではなく、原義そのまま拡大縮小されて大袈裟に見えるという本来の虚像であることをことわっておく。誰しも完全幻覚を見ている!と言った真実解説ではない。

今週あったこと

1、フューチャーサンダーの元ネタになったジャンプの精霊みたいなおじさんの登場。

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(少年ジャンプ2020年33・34合併号より引用)左のコマで読んでいる漫画に注目

2、アイノイツキオリジン話

上の手塚何某みたいなジャンプを全部持ってるおじいさんからジャンプを受け継ぎ漫画家を志すイツキ、妥協なき姿勢が窺われる。またここで個性はノイズであり究極の作品とは普遍的な面白さを限りない無個性で届けるべしとのアイノイズムが登場する。

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(少年ジャンプ2020年33・34合併号より引用)

3、アイノズハードワークオフィス

いざ連載を始めたアイノは急激にイズムが高まり、生活能力を全て漫画に注いだ結果、そのまま死亡。

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(少年ジャンプ2020年33・34合併号より引用)

以上が大まかな要約になる。アイノの過去から作品の時間軸まで移動しそしてその先へ行く。形式上では掘り下げの回と言えるだろう。

やはりというか、最も取り沙汰になったのはアイノの提唱した最強の漫画理論である。のでまずはこれについてさまざまな見方があることを紹介するところから始めていくぞ。

虚像1:作者に都合のいい言説

なまじ編集のダメ出しがリアルだったばかりに空っぽ主人公は作者の願望の反映で、それをヒロインに肯定させ、なおそれをまたやろうというのか!というもの。

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(少年ジャンプ2020年26号より)

自分に都合の悪い漫画をマイナー路線と言ったり盗作を合理化する哲平を肯定する理屈としてみれば確かに気持ち悪いが、あくまでアイノが抱いている主義主張として見れば問題はない。アイノイツキというキャラ単体で見たときに問題になる「言わされている感」も哲平の肯定としてではなく別の背景から来ると考えている。

過去の話を見返す限りでは、アイノの設定としてこのイズムが搭載されていて過去の台詞にもその兆候はあったのだ。(上のそんなもんはない!や、多用される「同類」のワードに対する言葉以上の意味合い、まだまだ完璧とは言えないけどいいですねこれ!など)言わされている感がなんなのかは後で説明する。

虚像2:創作のイデアとしての無私論

子細なネタ元作品はあえてあげないが、「アイノイズムはこの世の外にある真理へと到達しようという試みである」と言った解釈だ。脚本の人そこまで考えてないと思うよ…は禁止カードなので脚本の人、ーそうは考えてないと思うよ。でこれに応じてみたい。

①:アイノは正しく求道者であるか?だ、イズムが極限へと高まり孤独な死を決めてしまう直前に回想として挟まれるのはあくまで漫画を書き始めた原点であるし、死を回避するという作品の目的上このイズムには何かしらの欠陥がありそれを取り除くという運びになるはずだ。

①への反論として死を持っての完成、神格化というのが考えられる。これはない、何故ならそのような反応は訃報を見た哲平にもなければ今回作品内で描写された死にもないからだ。誰もいない真っ暗な部屋で理由さえ失ってしまったというのは食い違う。哲平が流れを肩代わりしてイズムを引き継ぐというのもある。これは哲平にファッションスティグマを刻みつけたがる作者ならやりかねない。まあその場合咎を背負う主人公をかききれないだろうというのが正直な感想、かけてねーしここまで。

②:そもそも真理なんて大層なものか?作者の中での漫画の位置づけはちゃんと分を弁えられており、その到達点はあくまで市井のものだ。漫画はあくまで娯楽であり、世界中の人を楽しませるというのはあくまでちょっとした目標であり夢と言ったもの…

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そういった含みを持った台詞を作中での到達者が述べているのでそのように判断した。「全人類に通用する」ためのアプローチがおかしいがそれによって達成したい目標はあくまでささやかで、世界という枠を逸脱しようという試みのむしろ逆ではないのか?

10話を語る上でネットのどちらの意見にも賛同できないのでこのような感想の感想から始まってしまった。じゃあ中身ボコるか!

何故「言わされている」のか?

アイノがイズムを抱えていた事自体は節々から読み取れると書いた。ではそれ以外のどこにおかしさがあるのか?まずは自我を滅することを是とする割にアイノの普段の言動はオブラートに包んでも電波ちゃんと言ったようなもので、無我の対極にあることだ。

もちろんそれは作品作りとは関係ない部分だがそういう普段の言動さえ抑制されある種ロボットのようになっていく原因になった出来事やそうなっていく過程が早回しの中へ霧散してしまっている。同じ漫画の中に別の人間が3人いるようなものだ。アクタージュの新章…?

一箇所一箇所の理屈は間違っていないがそれの接続がグチャグチャであり、一定の文脈を持って読んでいない人にはアイノのジグザグ走行はさながらマリオネットのように映るのもうなずける。お話としてはアイノが10年かけた道程を1年でやってしまっているのも込みで行きすぎたスピード感を演出。もはや突き抜けだ。

総評として雑すぎるので中身を語る以前の問題になる。

イズムへの疑問、イズムの面白さ論

アイノイズムとでも言うべき謎理論。これを構成する要素は「個性をなくして万人に対する向き不向きを完全に0にする」「その上で、それらに依らない面白さを構築」の二つだ。「究極の少年漫画」というワードで疑問に思うのは少年漫画の面白さで作者の個性を抹消してもなお生じる源泉などあるのか?ということだ。これは後者の面白さを備えたと仮定して、その上で作者が例えば厨二病などを全開にすればより優れた漫画が誕生する結果となる。究極の作品と呼称する場合どちらが究極かは分からなくなってしまいそれ自体が究極性と矛盾する。

こういう観点からアイノのイズムの目的は遥かな高みというよりは最大公約数的な完全に統一された寄せ集めを構築すると言った意味と考えられる。つまりオリジナリティへのアンチテーゼで全ての作劇パターンはギリシャの時代にはもう出尽くしているなどといった話だ。ジャンプ漫画を描く上でバイブルとして全てのジャンプを揃えるというのもこの流れに沿うものだ。

さてこのようなイズムを取り扱う漫画を見てどのように面白いかを判断するかだが、自分は作者のそのイズム・理論への考え込み具合を推している。つまり先程あげたような議論や、その他イズムを運用する上でさまざまに生じる問題を作者が自分に問うていれば自然とそれは作品に滲み出るはずである。現状は問題提起がなされただけなので、それをどのように解決し意味のある結論に持っていくか?その過程で面白さが出ると思っている。よって現状ただ問題用紙が出されただけなので面白いか面白くないかの判断はできない。

今週のさす哲未遂

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(少年ジャンプ2020年33・34合併号より)

これは哲平が盗作したからすごいと言うよりは、10年後のアイノイツキの作ったフォーマットを純粋な哲平が書いたから素晴らしさが10割伝わったという話だ。哲平の手柄は見た目ほど大きくないが、名作を描くのは誰でもいいという個人を無視するような考えは滅私の姿勢として自分に向けるならともかく、他人の作品を奪うという盗作に当てるにはやはりおかしな理屈なので完全におかしくないわけでもない。そもそもの倫理観がズレていることを示す面白いシーン。

さらっと30週連続1位で46話問題をすっ飛ばしそれをどう乗り越えたかも分からないままあっさりと敗北しそのままアイノの脳裏からは完全に消えていく哲平はむしろ今週下げられている。ざまぁ

最後に一言

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(少年ジャンプ2020年24号より)

これ、回を追う毎に有り得ない変な台詞になっている。イチマくん、クリフハンガーは無理のない流れで作ろうよ捏造はいかんやろ。先週のアイノの執筆を妨害すればいいのでは?に哲平が自問自答で済ませてしまう所といいこいつ根本的に漫画が下手なんじゃないか?

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