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出産直前に夫の単身赴任が決定。ワンオペ育児で0歳を子育てした半年間の記録

出産直前に夫の単身赴任が決まった。すでに私は臨月に入っており、子どもはいつ産まれてもおかしくなかった。

「えっ、このタイミングで単身赴任……?これから子どもが産まれるのに……?」

聞いた直後、私は状況が理解できなかった。正直最初は現実を受け止められなかった。夫が単身赴任になれば、子どもを見るのは昼も夜も基本私ひとり。初めての子育てなので、育児経験も知識も皆無。ちゃんと育てられるだろうか……と、急遽決まった0歳のワンオペ育児に不安を覚えた。

この記事では、そんな私がワンオペ育児で半年間0歳の赤ちゃんとどのように過ごしていたのか、その記録をまとめようと思う。

同じような境遇の方や子育てを経験した方、ワンオペ育児をしている(していた)方は「わかるぅ〜〜〜!!!」と思う部分があるかもしれないので、読んでほしい。

これから子育てしようと考えている方や現時点で子どもを考えていない方は、「世の中にはこんな人もいるんだなあ〜」と思いながら温かい目で読み進めてもらいたい。

出産する前の私

そもそも私は当事者になるまで、妊娠や出産、育児を自分ごととして捉えられていなかった。

学生時代は趣味に没頭し、社会人になってからは仕事して遊んで仕事して……と過ぎる日々。まわり友達もまだ結婚していない人がほとんどだったので、子どもと接する機会もなかった。

いざ子どもと対面しても、どう対応すればいいのかわからなかった。家族や友達にも、「絶対結婚しないと思ってたわ〜」と言われるくらい、縁のない人間だと思われていた。

一方で、人並みに結婚・出産への興味はあった。「身体のことを考えると30前半くらいまでに結婚して、第一子を産みたいな〜」と漠然と考えていた。

そんな私が結婚し、子どもを授かった。つらい悪阻を乗り越え、お腹の子どもは順調に成長。妊娠8ヶ月での結婚式も無事終わり、あっという間に産休。いつ産まれてもおかしくない状況となった矢先に、夫の単身赴任が決まったのだった。

誕生、出産後の痛みを完全にナメていた

単身赴任の不安を抱えながらも、2023年6月、第一子が生まれた。出産は激務な夫も立会うことができ、一緒に感動を分かち合った。生まれた子どもはふにゃふにゃしていて、だけど力強く泣いていた。

「本当に私が産んだのか……?こんな可愛い子がお腹の中にいたんか……?」

出産を終え、意識が遠のきそうになりながらも、そんなことを考えていた。

陣痛中は、痛みが少ないときと激しいときの落差が激しかった。分娩台に移動してからも、陣痛が痛くないときはスマホをいじれる余裕があった。「流れているディズニーのBGM落ち着くな〜」と呑気にLINEを返していた。

一方で、痛いときはとにかく息苦しかった。何かにつかまっていないと痛みで身体が押し潰されるんじゃないかと思った。「出産は鼻からスイカが出てくる痛さ」と言われているけれど、痛いのはお腹と腰である。鼻を例えで持ってこられても参考にならない。

事前に調べておいた呼吸法を頭では理解しているものの、だんだん自分がどう呼吸しているのわからなくなっていった。後々夫から聞いたのだが白目を剥いていたらしい。

痛みに苦しんでいる中、分娩台でお医者さんが股に手を突っ込み「あ〜髪の毛が薄い子ですね」と言われたのは今でも忘れないし、この先もずっと忘れないだろう

娘との感動のご対面を果たした私は出産を終えて病室に戻った。出産したその日、娘は新生児室に連れて行かれた。病室に戻ってきて思ったのはまあ腰と股が痛いこと。

出産後の痛みについても事前に調べていたが、

「まあでも筋肉痛くらいでしょ」

と完全にナメていた。実際は想像を超えていた。
産後の痛みがこんなに痛いものだとは思わなかった。椅子やトイレに座ったり廊下を歩いたりするのにも一苦労。何をしても痛みがつきまとうほどの威力を感じたのはこれがはじめてだった。

「この状態から育児がはじまるのか……?」

ヨロヨロな状態のまま、次の日から母子同室が始まった。病室に連れてこられた娘は眉間に皺を寄せていて、目の8割を黒目が占めていた。

可愛いけどなんでずっと眉間に皺を寄せているんだ?よく母親が眉間に皺を寄せていると真似をすると言うけれど私はそんなに日常的に眉間に皺を寄せていない。それとも無意識で寄ってしまっているのか?

娘を連れてきてくれた助産師さんにオムツの替え方や授乳を教えてもらった。これがほんとにうまくいかない。

恥ずかしながら出産直前までオムツの替え方すら知らなかった。いざオムツを替えようと思っても、どの位置に設定すれば漏れないのかがわからないので、テープがうまく貼れない。はじめての授乳もうまくいかなかった。助産師さんに助けてもらいながら母乳を搾り出してもらったが、胸が潰れるかと思った。

「ミルクと母乳の混合かな〜それか、人に預けられるメリットがあるから完全にミルクにしたいな〜」

娘が産まれるまでは呑気にそんなことを考えていたが、蓋を開けると母乳の分泌量が多過ぎて、完全母乳で育てることになった。分泌量が多いと母乳がおっぱいの中で溜まって熱を持ち、悪化すると乳腺炎になってしまうらしい。

「こんなに出る人なかなかいないよ〜!」

助産師さんにはそう言われたものの、ミルクをメインにしようと思っていた私は複雑な気持ちだった。もしかしたら私のような状況でも完全ミルクに移行できるのかもしれないが、無知が故、助産師さんの方針に任せていた。

そんなこんなで完全母乳での授乳が始まった。これが3時間おきである。

「7時におっぱいあげて3時間後だと10時か。あれ、さっき寝たばっかりなんだけど……」

授乳が終わっても娘はすぐ寝るわけではなかった。授乳したらもう次の授乳時間がやってくるサイクルの繰り返しだったので、だんだん自分が寝るタイミングがわからなくなった。

昼夜問わず授乳をしてもおっぱいは張るもので、出産から数日後に熱を出した。おっぱいを冷やしても冷やしても熱を帯びていたので、その日は授乳を休んだ。娘は新生児室に連れていかれる娘を横目に、私は病室で休んだ。

「まだオムツと授乳しかしていないのに疲労感がすごい……」

今は育児と言ってもオムツと授乳しかしていない。これが退院したら赤ちゃんのお世話に加えて家事をしなければならないという現実を思い出し、世の中のすべてのお母さんたちに尊敬の念を抱いた。

同時に、これからの生活があまりにも不安すぎて病室で泣いた。

目の前の娘がなんで泣いているのかわからない。オムツを替えてもおっぱいをあげても泣き続けるていることがある。こんな状態でひとりで育てていけるのだろうか。

「困ったら遠慮なくナースコールで呼んでください!」と言われていたので、入院中はちょっとしたことで何度も助産師さんや看護師さんを呼んでしまった。今思えばなかなか迷惑極まりない。

退院するまでの期間で、助産師さんや看護師さんに育児について不安なことをとにかく聞きまくった。

「こんなに熱心に質問する人なかなかいないですよ〜!えらいですね!」

助産師さんや看護師さんにはそう言われたが、如何せん娘との接し方がわからない。わからないことはプロに聞くのがいちばんだと考えていた。

そんな日々を過ごし、出産から1週間後に退院した。

退院後、やっと実家の家族と赤ちゃんがご対面した。夫と実母は病院に荷物を持ってきてくれていたので何度か顔をあわせていたものの、実父や妹、祖母が娘と会うのは退院してからが初めてだった。

退院した日は平日だったので、夫は週末にサプライズで用意したケーキを持って会いにきてくれた。その後も夫は片道3時間かけて、毎週里帰り先まで会いにきた。

退院してからの娘は日中クーハン(簡易ベッド)の中でよく寝ていた。起きると細い手足をバタバタと動かしていた。起きているときはふれあいあそびをしてよく遊ぶようにした。生後1ヶ月から推奨されているふれあいあそびを生後2週間くらいからやり始めていた。

娘はよく眠くて泣くことが多かったので、赤ちゃんが眠くなる音楽やホワイトノイズを聴かせていた。が、全然反応しなかった。唯一好きだったのは英語の歌で、日本語の歌よりも大人しく聴いていた。

沐浴が好きで、ベビーバスの中ではいつも気持ちよさそうだった。授乳した後にゲップを出すのがまだ慣れていないので、巻いたバスタオルを使ってよく横向きにして寝かせていた。

出産して少し経ったころには、遠方にいる義両親が会いにきてくれた。初孫ということもあり、みんなから娘は可愛い可愛いと言われていた。

そんな日々を送っている一方で、私の中では「育児がしんどい」の気持ちが勝っていた。

「みんなは可愛がってくれているが、私はまだそこまでの余裕がない……」

里帰りはしているものの、家族はみんなまだ働いているので、日中は私と娘のふたりきりだった。入院していたときから痛みは軽減したものの、まだ完治はしておらず、出血も続いていた。 

退院してからもとにかく本やネット、SNSを駆使して育児について調べまくった。少しでも泣いたり異常が見られたりしたら何が原因かを調べていた。

今思えば神経質になっていたのだろう。里帰りで家事や育児を家族が手伝ってくれていたにもかかわらず、精神面で疲弊していた。思考がどんどんマイナスになっていった。

「子どもが産まれていなければ今頃もっといろいろな仕事をできていたのかな」

「子どもが産まれていなければもっといろいろなことに挑戦できていたのかな」

産後の貴重な睡眠時間を削り、ネットやSNSで子どもを育てながら活躍している人のロールモデルをひたすら探していた。

「じゃあ産まなければよかったのか?」

それも違う。娘を産んだことに後悔はしていない。ただ、娘を産んだことによって今までの自分のアイデンティティだったものが失われ、「自分」という個人が消えて「母親」の役割だけを押し付けられる感覚が嫌だった。

ひとり時間がないのがしんどい。常に娘のことを考えていなければならないのがストレス。

育児の合間でほぼ毎日私は泣いていた。

0歳1ヶ月、だいぶ身体がぷくぷくに

生後1ヶ月の検診が終わって無事母子ともに問題ないと判断されたので、自宅への帰宅が許可された。生後1ヶ月もすると生まれた時よりもだいぶ身体がぷくぷくに成長していた。

訳あって出産前後で引っ越しが決まっていたので(単身赴任なのは変わらないが)、帰宅した家は新居だった。荷物の運搬は夫にやってもらい、生後1ヶ月の娘を連れて新しい土地へと帰った。はじめての土地ではじめての育児。不安要素がありすぎだった。

新居に着いてからは息つく間もなく手続き祭り。引っ越した先の市役所で転入届やマイナンバー・児童手当などの変更手続き。手続き関連が苦手な私はてんてこまいだった。かつ、娘は人が大勢いる場所だと泣きがちだったので、役所で泣かないかとても神経を使った。

運んできたダンボールの山を片付けるのにも一苦労だった。赤ちゃんと過ごしながらだとお世話だけで時間が過ぎ、必然的に荷解きが後回しになっていた。

「赤ちゃんを連れての引っ越し作業ハードすぎ……」

もし今後同じような状況の人にあったら「引越しは産前にした方がいいよ!!!!!」と全力で勧めたい。

この頃の私は慣れないワンオペ育児への不安や引っ越し作業をしながらの育児で疲弊が重なっていた。夫の勧めによって、約1ヶ月の間私と娘は義実家に行くことになった。

実は新居に帰ってくる前に里帰り期間を延ばすことも考えたが、ずるずると居座ってしまうと帰りたくない気持ちが強くなるのではと思ったので、出産前から「里帰りするのは出産前後1ヶ月!」と決めていた。

幸い義両親は優しい人たちなので、私は体力的にも精神的にも落ち着いた気持ちで過ごすことができた。義両親と過ごすうちに、娘の成長を喜べる心の余裕もでき始めていた。

0歳2ヶ月、本格的にワンオペ育児を開始

私と娘はお盆過ぎまで義実家で過ごした。娘はニコニコして過ごす日々を送っており、「あー」「うー」とよく喋っていた。ときには朝5時から1人で喋っている日もあった。娘は義実家にいた時期が1番安定して寝ていた気がする。

お盆期間は大勢の親戚とも顔を合わせたが、はじめて見る人たちが多かったせいか、娘はギャン泣きしていた。

お盆が過ぎ、私と娘は新居に家に戻って本格的にワンオペ生活が始まった。引っ越してきたばかりだし、私も夫も地元が遠方なので知り合いはいない。24時間ワンオペなので赤ちゃんを守れるのは自分のみ。とにかく毎日が秒で過ぎた。

朝起きて3〜4時間間隔で授乳とオムツ交換の繰り返し。助産師さんが「母乳は赤ちゃんが欲しがるだけあげてください」と言うので1時間おきに授乳する日もあった。アプリを使って記録していた時期もあったが、頻回すぎて途中から記録するのをやめた。

午前中は散歩や買い物。引っ越してきた当初はまだベビーカーを買っていなかったので、私は猛暑の中5キロの娘を抱えて道を歩いていた。軽い筋トレだった。

午後はだっこ紐でお昼寝の寝かしつけ。新居に帰ってから布団で寝なくなった時期だったので、だっこ紐であやしていた。バンドマンだった私と夫の影響なのか、激しい曲を聞かせた方がよく寝た。発育が心配になる。

寝ながら指を掴んできた

お昼寝から起きたら少し遊んでお風呂。娘はYouTubeで英語の動画を見るのとふれあい体操が好きだったので、それが日課になっていた。お風呂は私が先に入り、脱衣所にいる娘を泣かせないよう急いで身体を洗った。事前にバウンサーを買っていたが、何かが気に入らないのかバウンサーイヤイヤ期だった。

お風呂からあがって夜は20時までの寝かしつけを目指した。授乳をするとそのまま寝落ちしてくれていたので、お風呂までこなせればあとはそんなに苦労しなかった。

8月後半には初めての予防接種に行った。直前に知ったが赤ちゃんの足に4本も打つらしい。案の定娘はギャン泣きした。大人でも4本の注射は痛い。幸い副反応もなく、初めての注射を経験して8月が終わった。

0歳3ヶ月、不意の寝返りに成長を感じる

9月に入ると首がすわり始めた。もともと横抱きが嫌いだった娘は首が座っていない時期からほぼ縦抱きをしていたので、抱っこの仕方はそんなに変わりなかった。

足をつかむのにハマっていたのでよくひとりで遊んでいた。仰向けの状態で足を口まで持っていき足の指を食べるのが好きなようだった。身体がやわらかすぎる。

双方の両親から新しい服をよく買ってもらっていたが、新品を着る日ほどうんちを大量に漏らした。

イベントとしては新生児訪問を実施した。本来新生児訪問は産まれて1ヶ月で実施するらしいが、私の場合「里帰り」×「引越し」×「引越し後しばらく別の場所で暮らす」といった状況が重なり、この時期になった。すでに身長も体重も新生児じゃない貫禄になっていた。

新生児訪問では市の保健師さんがやってきた。この頃になると娘がなんで泣いているのかはなんとなくわかるようになった一方で、おしゃぶりや指しゃぶりが増えていたので、発達に問題がないのか相談した。

そのほかにも赤ちゃんとの過ごし方について相談した。育児に慣れていない私は赤ちゃんとの過ごし方がわからない。1日中家で娘とふたりきりだと疲れてしまう。かといって生後3ヶ月ではどこまでお出かけしていいのかわからない。暑い日が続いたこともあり、散歩にもほとんど行けていなかった。

とにかく思いつく限りの悩みを保健師さんに相談した。

9月の3連休にはお宮参りとお食い初めを行った。お宮参りは出産前に安産祈願をしたところと同じところでやった。普段と慣れない環境だったせいか、娘はギャン泣きをしていた。お食い初めはお店で行った。セレモニードレスを着た娘は無表情のままされるがままだった。

9月後半になると寝返りができるようになった。前触れもなくそれは突然起こった。その日は実母と妹が家に遊びにきていたときだった。スッ……とさも「今までもできていましたが何か?」みたいな様子で寝返りをしていたのでみんなぽかんとしていた。

うつぶせしながら指しゃぶっている

「着実に成長しているんだなあ……」

しみじみと娘の成長を噛み締めた。

この頃の娘は夜中に数回起きるものの、オムツ替えや授乳をすればすぐに寝たので、夜の自由時間も少しずつでき始めていた。娘の生活リズムが整い始めていたので、ライターの稼働量も戻そうと考え始めていた。

0歳4ヶ月、急に寝つかなくなって絶望

生活リズムが整ったと思ったのも束の間、10月に入ったら途端に寝なくなった。びっくりするくらい寝ない。

今までは19時に寝たら1時ごろまで熟睡。一度起きてもその後は起きるのが朝だった。それが、4ヶ月過ぎてからは夜1〜2時間おきに起きるようになった。

オムツを替えても授乳をしても、何をしてもギャン泣きで寝ない。そんな日々が続くとまあ〜〜〜眠いこと眠いこと。

しかも私以外の人が抱っこしようとすると泣いてしまう。夫や他の家族が交代しようと試みるもギャン泣きしてしまい、結果夜泣き対応できるのが私しかいなかった。仕方ないとは言え、隣でぐっすり寝ている夫が羨ましかった。

日の光を浴びたり外で遊ばせて疲れさせたりするのがいいと聞いたので、今までよりも散歩やショッピングセンターに行くようになった。子育て支援センターにも行き始めたが、それでも娘は寝なかった。

まわりのママさんから体験談を聞いたり、ネントレ方法を実践したりするも、全部失敗に終わった。

ちょうど定期検診があったので相談したが「一時的なのでちょっとしたら寝るようになりますよ〜」と言われた。「ちょっと」っていつまでなんだよと心の中で悪態をついた。

その後も朝まで寝られない日が続いた。解決方法のない悩みに振り回され、私は途方に暮れていた。

そんな日々が続くので、今まで夜参加していたミーティングや勉強会への参加も、足が遠のいてしまっていた。参加中に娘が起きてしまうと夜泣き対応できるのが私しかいないため、離席せざるをえない。

「なんで私だけこんな目に……」

夜が来ないでほしいと思うようになった。

0歳5ヶ月、ひとりになってどこか遠くに行きたかった

11月になっても娘は相変わらず寝なかった。抱っこしたまま寝かせても、置いては起きて抱っこして……の繰り返しだった。

週末夫が帰ってくるときもそんな調子だったので、「夫を起こさないようにしなきゃ……」と神経を尖らせながら夜な夜な娘をあやしていた。夜中に夫が動く音を聞くたびに「あぁ、娘が寝ないのにイライラしているのかな……」と過剰に反応していた。

もうひとりになってどこか遠くに行きたかった。

そんな状態を心配した子育て支援センターのスタッフさんに、ファミリーサポート(ファミサポ)の利用を勧められた。ファミサポとは行政がおこなっている会員制の子育て支援サービスらしい。

私が住む市ではファミサポを利用する場合1時間700円とのこと。体力的にも精神的にも限界が来ていたの私は、1時間だけファミサポを利用することにした。

事前に支援員さんと顔合わせの面談をして、後日お願いしていた時間に娘を迎えに来てもらった。支援員さんに連れて行かれるとき、娘はきょとんとした顔をして私の顔を見ていた。

産後、人に預けて自分のひとり時間ができるのははじめてだった。

「ひとりの時間ってこんな落ち着くんだな……」

今まで夜にひとりだけの時間はあったものの、次はいつ起きるのかと心配しながら過ごしていたので、心から休めたのは久々だった。

たった1時間でも精神的に少しだけ余裕を取り戻した気がした。独身のときにあんなに当たり前だったひとり時間が、とても尊いもののように感じられた。

同時に、娘に対する罪悪感も抱いた。私が楽になりたい一心で預けられた娘。果たして支援員さんのところで泣いていないだろうか。ひとりになっても娘の心配だけは拭いきれなかった。

1時間が経過し、支援員さんが娘を連れて家に戻ってきた。「娘どうでしたか……?」と聞くと、「全然いい子でした〜!とても大人しくしていましたよ〜」と言われた。予想外の答えに拍子抜けした。

娘も娘なりに楽しく過ごせるんだ。

今まで私は「娘のために自分が全部何とかしなきゃ」と思っていた。でも娘も日々成長している。もちろんお世話はまだまだ必要だ。でも、

「全部1人でなんでもやらなくてもいい」

そう気付かされたような気がした。

ファミサポを利用した数日後、離乳食がスタートした。ブレンダーを使って作った初めてのごはんはもはや液体だった。おそるおそるスプーンを娘の口に近づけると、娘は自分でスプーンを持ち、口に運んでいった。

「は、はじめてごはんをたべた……!」

そこからにんじん、かぼちゃ、ほうれんそう……とどんどん新しい食材を食べさせるのに挑戦した。新しい食材を初めて食べさせるごとに嬉しそうな顔や苦そうにしている顔、酸っぱそうにしている顔など、さまざまな表情が見られた。

にんじんを食べて笑顔

11月後半は、市役所に保育園の申し込み書類を提出した。職員さんに不備がないか確認してしもらってあっさりと手続きは終わった。

「保育園入れますように……」という気持ちと「0歳で保育園に預けるなんて可哀想なのかな……娘と日中一緒にいられるのもあとわずかで寂しい」という気持ちが交互にせめぎ合っていた。

当初、育児が苦手な私は早くに保育園に預けて仕事復帰した方が家庭のためにも、娘のためにもいいと思っていた。

だけど今は、娘と離れることに寂しさを覚えていた。

0歳6ヶ月、動き回ってなかなか目が離せなくなる

12月になって、娘は今までよりも少しだけ寝るようになった。それでもまだ朝までぶっ通しで寝ることはない。同じ月齢の子との差を気にしつつも、以前よりは動じなくなっていた。

離乳食にも慣れ始め、さつまいもやりんご、とうもろこし、トマト……とさらに食べられる食材も増えた。

気がつかないうちにお座りをするようにもなっていた。楽しいときはよく上下に揺れていた。

抱っこしてほしいときには飛行機ポーズをするようになった。飛行機でブーンと飛ぶポーズをするのが好きなようで、誰も抱っこしないと叫んで怒る。

表情も豊かになり、よく笑っていた。双方の両親からおもちゃを買ってもらい、ひとりでバシバシと床に叩きつけて遊ぶのを楽しんでいた。

12月後半にはずり這いをするようにもなった。洗い物をしていると私の足元まで来ていたり、気がつくと部屋の端から端まで移動していたりと、畳やフローリングの上を移動していた。行動範囲が広くなって楽しそうだった。

そうするとなかなか目が離せない。コンセントを食べようとしていたり、空気清浄機を舐めようとしたりするようになった。

この頃になると私は家事の手抜きを覚え始めた。料理は自分の分だけ作ればいいので簡単に済ませられるし、掃除も最低限できていれば暮らしていくのには問題なかった。

はじめてのクリスマスは3人で迎えることができた。クリスマスプレゼントにはジェラピケの服を買った。エルモの服を買ったはずが質感が完全にムックである。

年末年始は双方の実家に帰省した。双方の家族が娘と会えたことを喜んでいた。娘の成長をみんなで喜び、2023年は終わった。

そして現在、やれるところまではやってみるつもり

年が明け、娘は生後7ヶ月になった。

育児に縁がなかった私だが、毎日ヒィヒィ言いながらも何とかワンオペで娘の面倒を見ている。

娘との暮らしにもだいぶ慣れ、相変わらず適度に手抜きをしながら過ごしている。娘の運動量が増えたので、最近は一緒に行けるお出かけスポットを巡るようになった。

今も実母や妹が月1で家に来てくれるのでとても助かっている。頻度は高くないが、たまにファミリーサポートも活用している。

夫が単身赴任だと良くも悪くも娘と一緒にいる時間が長いため、成長過程を見守る時間が長くなる。大変なことも多いけど娘の成長に立ち会うチャンスがあるのは嬉しい。毎日写真を撮るのでフォルダが娘の写真だらけだ。

夫も会う回数が限られているので、一緒の時間を大事にするようになり、家族の絆がさらに深まった気がする。

保育園に合格すれば娘の入園とともに、私は職場復帰する予定だ。残り少ない育休期間中に娘とできることは何でもやりたい。

正直、正社員フルタイムで働きながら娘との暮らしをやっていけるかわからない。夫の単身赴任もいつ終わるのか未定である。それに、父親がいないのが当たり前になると成長過程上よくないのではという不安もある。

それでもやれるところまではやってみるつもりだ。両立が難しければそのときどうするか考えればいい。

今でも自分の育児には自信はない。「育児余裕だわ〜〜〜!!!」と思う日と「私に育児は向いていない……無理すぎる……」と思う日が交互に来る。でも、何が正しいのかなんて誰もわからないだろうし、育児が正しかったかどうかがわかるのなんて、きっともっと先なんだろう。

これは育児と縁がなかった私が娘を産んでまだ半年間に起こったことの記録だ。1歳になるまでの半年間ではどんな出来事が待っているのだろう。落ち込む日があっても、苦手なりに家族3人で前に進みたい。

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