精神病院に入院した話

去年の10月中旬、私は精神病院に入院しました。

入院した理由としては、借金苦からの投身自殺を図ったからです。

でも家族に止められ、救急車と警察を呼ばれ、それでも尚、死のうと暴れ続ける私を必死に身体を使って止めた当時原因不明の熱に浮かされた母親と、声が出なかったのに必死に電話した読んでくれた姉の方が、何倍も苦しかったと、辛かったと思ってます。母親の熱は後程原因が分かりましたが。

そうして私は警察に保護されて、一晩保護室に居ることになり、夜に精神の保健所の方が来て、色々話を聞かれたのですが答える気力も何もなかったので、手のひらに指で文字を書いて筆談で会話。

何度も「喋れない?」と聞かれたので「話したくない」と答える。誰とも話したくない、出たい、それだけでした。

終わって疲れたので喉が渇いたと思い、保護室のアクリル板を叩いて警察官の方にお水をもらい、でも目の前の汚い洗面所で注がれた水だったので飲まず、何もすることがないので、寝ました。

起きてからのほうが辛かったかもしれないです。女性の保健所の方が来て、昨夜のように手のひらで筆談。女性の方も何度も話せないのか聞かれたけれども、私の口から声が出ることは一切なかったです。きっと、心を閉ざしていたのか、口を開きたくなかったのかは、1年経った今も心境は分からず終いのまま。警察署の保護室に居た時の私は、口を開くことが、きっと出来なかった、のかもしれないです。

そうして時間が経ち、保護室から出て、警察官と保健所の女の人と一緒にワンボックスに乗り、精神病院に行きました。

精神病院に着いて、診察室に呼ばれて入ってまず目に入ったのは、疲れ切った顔をした母親と姉の顔。そして全く知らない精神病院の先生。そして看護師さんたち。

なんだ、ここは。と、そんな感想しか思い浮かばなかったです。精神病院なんて私に縁があるわけない、と。

椅子に座るよう促され、とりあえず先生の目の前の椅子に座りました。先生は、ユースケ・サンタマリアさんにとても似ていたので、以後ユースケと呼びます。

ユースケは私に何があった?と聞いてきたので、話したくない、紙が欲しい、と手のひらに指で書いてジェスチャーしました。そうして持ってきてもらった紙とペンに、聞かれた質問に対して返事を記入していきました。

「どうして自殺しようとしたのか」「借金苦だったから」「どうして喋らないのか」「喋りたくない」、そんな感じで聞かれ、返答したと思います。もう、その時の記憶は曖昧ですが。

そうしてユースケは母親に話を始めたので、私は関係ないと思いカエルの落書きをしていたら怒られた記憶があります。母親は「今は自分のことで精一杯、ひなののことまで面倒見れない」と答えてました。それに対してユースケがどうしたいか聞くと

「できれば入院させてほしい」、とはっきりユースケに伝えてました。

冗談じゃない、誰が入院なんかするものか。私は来月に墓参りに父親の地元に帰るのに、と。それじゃなくても他にもやることあるのに、仕事もあるのに、私の意向は無視なのか、と怒りが込み上げてきて、思わず椅子から立ち上がり、その場から逃げようとしました。

またもやここでも暴れる私に看護師さんたちは手伝いの要請をしていたと思います。取り押さえられて、麻酔を打たれて、私の意識はなくなりました。

目が覚めたら、拘束されていて、何もない白い部屋に点滴をつけて、ベッドに寝ていました。そこからが地獄のような保護室生活でした。


続きはまた今度。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?