私が名前を変えた日。

『カナさん、本指名120分でーす!』
携帯電話のコールが鳴り、名を呼ばれた。
つい2週間前に付いた名だった。


お酒、煙草、クラブ遊び、
どれも経験したことがなかった。
ピアスの穴すら怖くて開けられなかった。
ずっとひとりで本を読んでいた。
友達のことも好きじゃなかったし 
同窓会や飲み会の誘いもまるで無かった。

わたしが唯一、人間関係を持つ行為が
セックスだった。それだけ。

つい数ヶ月前までのわたしは、
web関係の会社で働いていた。
月残業70時間、残業代無し、手取り15万円。
喉が乾いても水さえ買えない生活をしていた。
給料を切り詰めて、可能な限りの貯金をした。

『レクサスが欲しい』

彼がそう言ったから。

当時お付き合いしていた彼は、
ひと回り年上の大手企業の会社員で、
とても底辺webデザイナーのわたしが
釣り合うような人ではなかった。

実際、彼はわたしを見下していたし、
駄目人間だのクズだのとよく叱られた。
その後、甘いセックスで快楽に溺れ、
優等生だったわたしはセックスを覚えた。

彼はしょっちゅうバイクを買い替えていたし、
親から譲られた一軒家を持っていたから、
レクサスが買えないようには
とても見えなかった。

でも彼が、わたしに何度も

『レクサスが欲しいなー』と呟くので、
わたしは《レクサスを買わなきゃ》と思った。
それだけだった。


仕事は好きだったけど、お金は貯まらないし、
身体が限界を迎えたので、辞表を出した。
3年間務めた会社を辞めたけど、特に何の感情も沸かなかった。


転職活動をはじめた。
同業種でもう少し条件の良い所が見つかればと
少しだけ希望を抱いていたので、
大切なレクサス貯金から3万円を頂いて、
スーツを新調し、美容室で髪を黒くした。


ただただ、お祈りの手紙が
散らかった机の上に重ねられるだけだった。

喉が乾いてもお腹が空いても欲しがりません。
ただ、欲しいものはひとつだけ。

『 採用 』

それだけ。

30分予定の面接が20分で終わった帰り道、
公園で《風俗 求人》で検索をかけた。


次の日、
繁華街から少し離れた雑居ビルに案内されて
派手なスーツ姿の男性と向かい合った。
何やら簡単な書類を書き終わった頃に、

『いつから来れますか?今から体験しますか?』

『え、っと、採用ですか?』

『はい、すぐにでも働いて頂きたいんですが』

入室してから10分。
欲しかった言葉は簡単に手に入った。


こんなにも簡単なことだった。
ずっと欲しかったものが、
整った顔をした見知らぬ男性から与えられた。
彼に、好きだと言われたことは一度も無いのに。
見知らぬ男性に、
『可愛いからすぐ人気出ますよ』と言われた。

その日、わたしはカナになった。


わたしが風俗嬢になった理由。
それは、採用されたかったから。

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