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#エッセイ 僕と自由とトイレットペーパー。

1 本文 (約1700文字)

さっき、友人の浅野とたらふく、もつ鍋を食べてきた。
久しぶりに会った友人なんだ。
僕の大切な友人なんだ。

いつもは並ぶ店だけれど、新型ウイルスの影響で、今日はすんなりと入れた。
もつ鍋の味を、味噌と醤油、どちらでも選べるらしい。
たった2つの選択肢を見せられただけで、僕らの心は、大海に向き合うかのうような気分になる。僕らはなんでもできる。誰も、僕らの選択を止められやしない。この広大の海の前では。そう、実に自由なのだ!っていう気分にさせる。

二つの選択肢の中から、僕らは、醤油味を選んだ。
店員は「醤油ですね」と言いながら、「S」と流れるように伝票に書いた。

僕と浅野は、よく躾けられた兵隊のようにして等分に周りを見た。
カップル。大学生のグループ。会社の同僚たち。
みんな醤油を食べていた。
浅野は「やっぱり醤油にして正解だったなぁ」なんてことをいう。

いや、違う。
僕たちは選択させられたんだ。実はこの空間には、自由などなかった。
頭のいい僕らにはわかる。選択肢を与えられているように見えて与えられていない世界だったのだ。
例えるならば、火あぶりでの焼死と銃殺死。選択肢はあるようで、実はない。
誰が、喜んで、スキップしながら、火炙りでの焼死を選ぶというのか。
醤油と味噌のもつ鍋で、どちらを選ぶというのか。
三日三晩醤油味を食べた人か、あるいは醤油と味噌の区別も付かない野郎でなければ、決して味噌味は選ばないはずだった。

僕らは醤油味のもつ鍋を楽しみつつ、〆のチャンポンに飽き足らず、〆の〆のご飯まで追加した。
食べ盛りの33歳は、ほんとうに最高だ。
さっきまで、僕は死ぬしかないと思っていた。
だけれども、このもつ鍋が本当に幸せで、僕はもう少し生きたいと思った。
少し重い話になる。

実は、僕の家にはトイレットペーパーロールが、わずか1つしかない。いくら計画的に使っても、下痢などの不測の事態があれば終わりだ。うちの18戸あるマンションの1室が、実は肥溜でした、というオチだけは避けなければならない。
僕は、こんなにトイレットペーパー不足になるんだったら、昨日の仕事中、見かけた遠方のスーパーで18ロールを買っておくべきだったと悔やんだのだった。後悔は、税務調査のように、何の前触れもなくやってくるらしかった。

こんなトイレットペーパーに関する悩みを、僕は、恥ずかしげもなく浅野に話した。浅野は「そのうちトイレットペーパーの流通は戻る」といつものように冷静に答えて、ニュース記事も見せてくれた。浅野曰く「あと数日もすれば元に戻る」そうだ。やはり、トイレットペーパーの悩みなど、大したことではないのだ。
僕は、すぐに妻に「トイレットペーパーは流すものだけれど、デマには流されるな!トイレットペーパーはすぐに流通する。明日には手に入るから気にせず使え」と伝令(LINE)を打った。

その後も浅野との話は弾んだ。
気がつけば、ちゃんぽんにニンニクをたっぷり入れて食べていた。もつをおかわりしてから、さらに〆の〆の〆だ。これほどまでに、〆が続くものなのか。〆切りに追われる売れっ子作家が「ほんとうの〆は?」と聞く気持ちが、今ならよくわかる。舞台で言うと、あたかも終わりのないカーテンコールのようだ。
ハイボールも2人で20杯以上は空けていると思う。

今日もいいディナーだった、そう思って僕らは店をでた。
帰り際、浅野は、「次は、味噌を!味噌を食おう!」といった。
どうせ、あいつのことだから、次も醤油だろうなんて思った。
僕が振り返ると、もう彼の姿は見えなかった。

浅野とのわずかな時間を終える。僕は、一度だけ、腹をさすって「大丈夫だよな」と言い聞かせた。妊娠3ヶ月で母親としての自覚が出てきた気分と似ている。「全く問題ないよ!」とまだ見ぬ、その可愛らしい笑顔で僕にいうかのようだった。

さあ、帰ろう。
そう思って、ターミナルビルを降りた。
急な気圧の変化のせいかもしれない、腹痛が襲う。早く自宅に戻らなければ、その思いだけが、僕の足を前に動かしていた。そうだ。妻に遅れることを電話しなければ。カバンから携帯電話を探す。その間にも、メトロノームよりは不正確に、大規模病院の待合室よりは正確に僕を、腹痛が呼び出すのだった。

電話越しで妻はいう。
「明日には手に入るってあなたが言ってたでしょう。掃除に使っちゃったわよ。あとは半ロールも残っていないよ」と妻の眠たげな感想が返ってきた。
クソか味噌かわからない回答だった。
これからどうしたらいいのか。それはわからない。
それでも、たった一つだけわかったことがある。
味噌なんて食いたくない。
次も、味噌ではなくて醤油のもつ鍋を食うってことだ。

2 著者情報

著作:ハヒフ
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