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ゆるっと思うままに書いてみる(ことにするかも)

日々の出来事をnoteのようなある程度の分量にできる人と、Twitterで完結する人との違いって何なのだろう。
どちらがいいとか悪いとかではないと思うのだけど、長文がサクサク書けない私にとっては書ける人が憧れの対象で、何が違うのか自分なりにふらふらと考えてみた。

日常を文章にできる人って、起きた出来事や瞬間に対し、一段二段深掘って考察をしたり、或いは別の何かと結び付けて考えたり、といったような思考の習慣があるのかなぁとか。

それと私の場合だと所謂ジャーナリングのような、手元のB5ノートに誤字も脱字も文法も気にせずに、読み手のことなど一切考えずに思うままをばーーっと書いて完結させることが多く、敢えて外に出すのを惜しんでいるから、これ外に出して大丈夫か??と思いがち、というのはありそう。

日々考える色々なことを自分の中でそっと大事に仕舞っておくか、
それとも共鳴できる誰かに向けて発信するか、どちらもステキなんだよなぁと思ってみたり。

これからしばらく、自分が日々思うこと考えることをもう少し気軽な感じでオープンにしてみようかなと。
やっぱり自分の中にとどめておきたいわ、とか今はいいかなとか思ったらまた元に戻すかもしれないけれど笑
自分がこれまでやってこなかったことを敢えて取り敢えずやってみるのもいいかもしれない!

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