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旅が尊いものになるとき


旅は行きたいと思った瞬間から始まる。


旅の計画をして、自分の旅に見合った航空券などの移動手段を探し求め手に入れる。


ここからあそこへ移動する権利を手にする。


中身は自由。


どんな旅の仕方も可能だ。


旅をしている自分を思い描く時、もう既に旅は頭の中で始まっている。


生まれてから国内・国外含め何度も旅して来た。


当たり前のように、旅する権利は生まれつき何の疑問もなく持っていた。


こうやって自由に旅が出来ないという時代が来るまでは。


全世界的な新型コロナウィルスの蔓延により、現時点で僕たちは今までと同じようには自由に旅する事が難しくなった。


それでいて、旅はできないが家から繋がるインターネットという回線によって海外や遠くに住む人たちと繋がれるというかつてない状況にいる。


大災害の時と違って、電気は通い、インターネット回線は動き続けている。


不思議な感覚である。


時代は変化するものだ。


またしたいと思った事が同じように出来るとは限らない。


旅を沢山してきて良かったなと振り返られる自分がいる。


また自由に旅できる日を待っている自分がいる。


そして、新たな旅の形が生まれるのかもしれないと想像する自分がいる。


旅とは自由なるものである。


今はここで、脳内で旅する。


かつての旅先やまだ見ぬあの地を脳内で駆け巡る。


それだけで自分の心は自然と踊っている。


旅は終わらない。


旅は続く。


これからも。


(北海道新聞みなみ風「立待岬」5/11掲載)

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