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Note始めて、ブログ始めて、Noteに戻ってきた話

何か書いてみたいなと思いNoteを始めた。

リモートワークが始まり通勤時間が削減され、少し時間を持て余すことになり文章でも書こうと思ったのがきっかけ。

2〜3記事書いていくと、収益化に繋がるシステムにしよう、という浅はかな邪念が生まれ、だったら広告が貼れるブログにしようと思いはてなブログを開設。

GoogleアドセンスやAmazonの広告などに申請してアカウント取ったり、名ブロガーのブログのススメとかを読んでみたり、いろいろやって2~3記事書いてみた。

名ブロガーはとりあえず100記事書けとか、キャッチーなタイトルにしろ、とか書いてあって、ブログのタイトルを実際に「とりあえず100記事書く」にしてみたり(ただ思い浮かばなかっただけ)。

そしてまたNoteに戻ってきた。

なんでかなーと考えてみたのだが、そもそも文章を書きたいと思ったのは、文章を書きたいからであったことに気づいた。←文章がおかしい

つまり文章を書きたい欲から生まれた行動という意味。

あと広告とか、収益化とかめんどくさいと思ってしまった。まあそのめんどくさい中で収益化している人はちゃんと全てを整えて歯を食いしばって書いている部分もあるのだろうから自分は甘々なんだと思う。最初は全く成果が上がらないのも理解している。ただめんどくさいが勝ってしまった。

これまでの人生で自分に向いていることとか、才能とかを見つけるために探して、求めてきた。頑張ればなんでもできると思っている部分もあった。ただ30手前になってみると、頑張れば、と思っている時点で向いていないのかな、とか思ってしまうようになった。

甘さ、なのか諦めなのかそれとも悟る、ということなのか。

話が飛ぶが小学生の時からバレーボールをやっていた。別に親にやらされたわけでもないし、自分から進んでチームに入会した記憶がある。

別に特別うまくはなかったけれど、練習自体が好きで好きでたまらなかった。約20年前なので暴力指導とか暴言とかたくさんあったし、今では考えられないような辛い練習もあったけど嫌だと思ったことはなかった。

むしろ病気になって練習を休まなきゃいけなくなった時は泣き散らして親に当たっていた気がする。

結局バレーは成人するまで続けたし、今でもたまにプレーする。

これもそもそもが欲求からきていたから長続きしたのだと思う。

その逆で親にやらされていたラグビーは嫌で嫌で辞めてしまった。多分体格的にも、身体能力的にもラグビーの方が若干適性はあったと思う。
(決してラグビーを馬鹿にしているわけではありません)

なんか話が散らかってしまったが、30手前になり、ナチュラルに生まれる欲求を大事にすることの大切さに気付き、Noteに戻ってきましたという話です。収益化とかアフィリエイトとかワードに当てられて一瞬、ほんの一瞬だけど頑張ってみましたが、辞めちゃいました。

ブログさえ開くのをめんどくさくなり、Noteの方が書きやすいやーと思ったのです。まあ甘いのでしょう。

Noteさえもめんどくさくなるかもしれない。

このNoteだって小見出しとか前の記事はつけていたけど、もうめんどくさくなっている。太字とかめんどくさい。

でもNoteを見ているととっても素敵なそして力の入っていない文章を書いている方々がいる。自分もいつかそう思われたら良いな、という欲求もあります。

欲求に従ったとこの行動が一番人間芯があって強いのかもしれない。

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