CHIHIRO

毎日、同じところから空を眺めている

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毎日、同じところから空を眺めている

最近の記事

この街のどこかで

進むことで、見えなくなるものがある。 大事にしてきたなにかを置き去りにしてしまうような、私にとってはすこしさみしい。 人生、決められたラインからはみ出ることばかりだった。 学校には思うように行けなかったし、行けないことで勉強の仕方もわからなくなった。苦しい出来事が沢山あり、周りと考えが合わないことも多々あった。社会人になり周りのみんなが必死に仕事を頑張っているとき、私は仕事に行けなかった。結果、すぐに退職した。 今でも苦しくて胸が締め付けられるような感情だけが私の中に

    • まとまらない今を生きる

      日々の思いを書き綴ること8年。 書くこと、書き続けることが、自分にとっては大事な作業だったと改めて思う。 人は、一定のリズムでは生きられない。 楽しい時期もあれば、気持ちが落ちる時期もある。仕事へのモチベーションが上がる時もあれば、下がる時もある。人と会いたい時もある。一人でぼぅっとしたい時もある。 それが良い、悪いとかではない。 人生にはリズムがあるんだな、と思うことで楽になる時がある。 上がったら下がっていく自分も、停滞し退屈している自分も、だんだん通常モードに戻っ

      • 朝焼けに魅了されるam5:55

        一睡もできずに夜が明けた。 最近の生活リズムはぐちゃぐちゃだ。立て直そうと思い「明日の朝はお散歩してみよう!」と作戦を練っていたら、眠れなくなった。脳内が幼稚園児並みである。それとも昼寝をしたからか?…夕寝もしてしまった。 色んなことを考えた夜だった。それでもネガティブな感じではない。感情の波が激しい期間があったが、通り抜けた気がした。誰しも一定の波では生きていけないことを知る。だからこそ、自分を知る。理解する。自分の波は自分だけが乗りこなせるのだ。 自分の感情を自覚し

        • 私を動かすのはなにか

          最近の私はとても哲学的である。 考えて、考えて、自分なりに答えを出す。その繰り返しの日々。たいへんエネルギーを消費する。だけども悪くはない。スッキリする自分も居る。 私を動かすのはなにか。 人には原動力というものがあるだろう。ひとつのことに対して自分がここまで動ける、しかも動きたいと思っている自分も居る、そんなことに気がついたとき、私の原動力はなにかと考えた。 あの頃つらかった自分が、未来の自分を救っていることがある。だから人生は面白い。とりあえず今日も寝て、明日も起きる

        この街のどこかで

          眠れぬ夜に言葉を綴る

          眠れない夜にnoteを書く。 私にはたまに眠れない夜がやってくる。実際には眠れない夜ではなく「まだ寝たくない自分」が顔を出しているのだ。明日は割と早起きをする日だということをわかっていながら、こんな日は夜を楽しむことにした。現在の時刻は0:30。 毎日、同じところから空を眺めている。 なんだかいろんな気持ちが湧き出てくる。空を見上げる余裕がなかった数年前のことを思うと、今は余裕があると思ったり。いやいや私はこれでも精一杯生きてるのですよ!と思ったり。人のこころはたまにぐちゃ

          眠れぬ夜に言葉を綴る

          大切な友人と過ごした25歳を振り返って

          人生にはとにかく、思い出が必要である。 自分の人生を生き始めたここ数年の中で、大事なものとか人とか、自分の価値観だとか、生き方だとか。色んなことに向き合ってきたなと感じる。去年の春から一緒の時間を過ごすことが多かった友人とはそんなことを夜な夜な語っていたなぁ、と。 10代の頃から繋がっていた彼女とは実家が近く、お互い一人暮らしを始めた時にはその家も徒歩5分圏内だった。不思議な縁だなぁと思う。 お互いの家が近いのもあり、10代の頃より頻繁に会うようになった。 彼女はすご

          大切な友人と過ごした25歳を振り返って

          祝日、日常のリセット

          祝日。 最近は色んなことを考えながら日々過ごしている。 大学生の頃、「自分はどういう人間か」ということに対してひたすら向き合っていたが、卒業から5年。またそんな時期に差し掛かっている気がする。 人は日々変化しながら、沢山の事柄に影響されつつ、生きている。 今日は天気が良かったので、家中のものを洗濯した。 そして今朝ハッピーな発見があった。使っている毛布が洗えるということに気がついてしまったのである。洗濯マニアの私にとってはハッピーな出来事だった。ついでに、掛け布団カバー

          祝日、日常のリセット

          あの頃の私に、今の私ができること

          昨日、横浜は雪が降った。 雪国で生まれた私は、なんだか幼い頃の私が帰ってきた気持ちになった。「おかえり!」と言ってあげたくなった。 つらさを思い出す時が、大人になった今でもある。 思い出すのはいつでもあの頃の出来事ではない。感情だ。 「つらい思いをしていたな」「毎日泣いていたな」「誰にも言えなかったな」「眠れなくて不安だったな」。あの頃の感情を思い出すと、懐かしい気持ちになる。ここで、”あの頃”に感情移入しないだけ、成長したなと自分で思う。 なぜ感情移入しなくなったか

          あの頃の私に、今の私ができること

          それでも此処で息をしている

          最近、「生きているんだなぁ」と実感することが増えた。 何を当たり前のことを、と思われるかもしれない。 それでも今の私は生きた心地がするのだ。 もっと言えば、生きていきたいと心から思っている。 長い間、生と死の間にいた。「生きる」と考えただけで涙を流すこともあった。「死にたい」と思うことで自分を守れる気もした。 究極につらい状況に置かれると、人は生きている実感を失くすのだと思う。 そこからよく這い上がったな、と自分でも思う。 今の私は、生死を考える時間があるなら、な

          それでも此処で息をしている

          自分の中の愛に気付く

          家族という形にとらわれていたのは自分だと気がついた時、私の中で大きな変化があった。 目の前の人を、純粋に大事にする。 今ならできる気がする。というか、できると言い切りたい。 誰かのせいにしては、自分を責める母親に素直になれず、ありがとうの「あ」の字も言えず、なんで私は母に対してこんなに素直になれないんだろうとずっとずっと悩んでいた。 私の両親は不器用だ。 そんな二人のもとに生まれた私もまた不器用。 周りの仲間には素直に気持ちを伝えられるのに。家族となると私は心をシャ

          自分の中の愛に気付く