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実家には、優しい時間が流れている。

ここ数日、没頭したように絵を描いている。
自分の心の内側から溢れる感情や色彩を感覚に任せて描いている。
これが楽しい。まっしろな画面に心の赴くまま描く。
そこにはただの「創作活動」しかなく、自分自身が露わになる。
まっしろな画面に色とカタチが組み合わさり、はじめて「意味」が生まれる。
そういうことを繰り返し、繰り返し。
またひとつ新しい自分を知る行為にも似ていると思う。
言語化できない自分の心も、表現をすることで本心の輪郭をなぞっている。

新しいアプリでお絵かきをはじめた。
出来上がった瞬間「これは私の思う【優しい時間】なんだな」と思った。

諸事情があり、いま5年ぶりに実家で療養をしている。
いい大人なのに、治療の関係で「してはいけない」ことが多い。
だから小さいストレスや劣等感が心にチクチクと溜まる。
治療中だからと言い聞かせる自分と、休暇中なんだからと怠ける自分が葛藤する。健康にみえて、全然健康じゃない。昨日も予期せぬできないことがあって結構凹んだ。助けてくれないと、ひとりでトイレにも行けなかった。
(してもいいんだけど、すると副作用がどのように反応するかよくわからないので極力なにもしないようにしているって補足しておく)

でも、家にはいつだって優しい時間が流れている、と思う。
家族と一緒にごはんを食べ、朝ドラを見て、溜まったドラマや映画を消化する。
お互いに好きなことをして、眠い時にはお昼寝、ちょっとだけアイスをつまんで、思いついたように会話が始まる。夜は気ままにお散歩する。地元はそこそこの田舎で、抜けた空や、伸びっぱなしの草木がなんかいいよねって気持ちになる。バラエティを一緒に見て笑って、順番こにお風呂に入り、そうこうして1日が終わる。
なんてことない1日を毎日毎日繰り返し、この家には知らぬ間に優しい時間が織り成す空間になっているんだ。とわかった。

優しい時間というのは自分ひとりで完成するのではなく、まわりにいる人と、その人たちを取り囲む空間があって初めて完成するものだと思う。
日々の出来事で絵に出てくる感情も変わるから、なるべく穏やかな時間をすごせたらいいね、って思う。心が豊かになるものね。

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