「スポーツの持つ価値、意味、あるいは必要性」のようなもの

ここしばらく、「スポーツの価値」「スポーツの意味」「スポーツの必要性」のようなものについて、ずっと考えている
コロナで我々のまわりからスポーツが完全に消えてから

そもそもスポーツは何のためにあるのか
これからスポーツはいったいどうなるのか

「今はスポーツどころではない」という状態から
いつになったらスポーツは当たり前に我々の隣に戻るのか


あらためてスポーツの成り立ちからの歴史や
先人の営々たる取り組みについての本を何冊も読み返している

英国パブリックスクールでのリーダー育成
国民国家における体育的な位置づけ
人々の気晴らしとしての語源
一大商品としてのスポーツ
家族や地域社会をつなぐ紐帯としてのスポーツ

あまりにも多面的な顔をもつスポーツが
当たり前に友人のように我々の隣にあったことを思う


人も、企業も、社会も、国家も
危機に直面するとその活動の面積を縮めて乗り切ろうとする
急速に活動の円を小さくするのは危機管理の要諦だ

天災、疫病、恐慌、戦争などの危機に瀕した時に
今までと同じ活動を継続することはできない

円の中心には命脈をつなぐために必要不可決なものが残る
医療、エネルギー、物流・情報・通信等のインフラ、食糧栄養、安全保障

円の周縁部にあるものは、今は不要な余剰として一旦切り捨てられる
音楽、文芸、エンタメ、ファッション、嗜好品

そしてスポーツはその周縁にある「余剰」の最たるものだ

かかる状況に至って我々はあらためて思い知らされる
スポーツは当たり前に存在するものではない

むしろ周縁部の「余剰」と位置づけられる
儚く、いつ消えるとも分からない存在だったのだと

毎日、生きていることが当たり前でないことと同じように
ある時突然我々の手のひらからこぼれ落ちるものだと


適切な連想であるかはわからないが
スポーツの儚さのことを考えるとき、命の終わりに直面した人の言葉を思い出す

たとえば、「飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ」の中で、
癌の転移を知らされた井村医師が遺した言葉

「その夕刻、自分のアパートの駐車場に車をとめながら、私は不思議な光景を見ていました。世の中が輝いてみえるのです。スーパーに来る買い物客が輝いている。走りまわる子供たちが輝いている。犬が、垂れはじめた稲穂が雑草が、電柱が、小石までが美しく輝いてみえるのです。アパートへ戻って見た妻もまた、手を合わせたいほど尊くみえたのでした。」

妻と幼い娘を後に残して自分は死ぬのだと覚悟した帰り道の記述は、
我々が無自覚に見過ごしている毎日の奇跡性を我々に突きつける
当たり前の日常にある奇跡が、我々の目には見えない


危機にあって、消えてしまう周縁の余剰
でも我々はその余剰があるから生きている

ただ命をつなぐことを超えた人生の歓びを
我々は余剰を通じてこそ感じることができた
人生を豊かにしてくれていたのは周縁部だ


いつかスポーツが戻ってきた時に
それがどれほど尊く神々しい存在だったのかを感じるだろう

ただのキックオフの笛に、ただの子供たちの歓声に
ありふれた緊張に、失望に、歓喜に
手を合わせたくなるほどに感謝するのだろう

当たり前だったはずの光景に、我々はどれだけの涙を流すだろうか
どれだけの「喜びの歌」を聴くだろうか


周縁は実のところ余剰のようであって余剰ではない
我々人間の中心と深くつながる存在だ

スポーツに関わるものとして
そのことをあらためて心に刻みたい

人間の中心と周縁とのつながりを、強く強く握りしめて
もう二度とそれを離さないようにしたい


これからもやってくるたくさんの危機にあって
何度周縁部が消えたとしても
スポーツは絶対に、人類にとって必要なものなのだ

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