見出し画像

【本の紹介】「南の島に雪が降る」(戦友愛と対照的な、従軍慰安婦の死への冷淡さ)

(注 この記事には会計税務の情報はありません)
「南の島に雪が降る」(加東大介著、ちくま文庫)の紹介をします。
 著者は前進座の俳優でしたが太平洋戦争中の昭和18年に2度目の招集を受け、西部ニューギニアのマノクワリに向かいます。そこで劇団を組織し、日本軍将兵を観客としていたという体験談です。でものんきなものではありません。
 ガダルカナル島の戦いの後、米軍の攻勢は東部ニューギニアからフィリピン方面に向かい、西部ニューギニアの日本軍は補給が途絶した状況での持久戦となりました。戦闘で死ぬ代わりに、多数が栄養失調等で戦病死していくという状況です。
 現在の我々は、昭和20年に戦争が終わることを知っていますが、当時は当然わかりません。「勝っても負けても百年戦争」というのが文中に出てきます。そうであれば、遅かれ早かれ全員戦場で死ぬことはわかっているのです。絶望の中で、日々喧嘩が絶えないような状況になっていきます。
 著者は、部隊として正式に組織された演芸分隊の中心メンバーとして、将兵の気持ちを和らげるために、物資のない中で素人を指導して連日公演を行うことになります。

本書のタイトル
 本書のタイトルは、最も有名なエピソードから取られています。
 「雪を見たい」との要望に応えるため、ある劇の中でパラシュートの布を使って一面の雪景色を準備し、細かく切った紙を雪のように降らせる演出をします。
 そうやって準備した雪景色に対して、一般の将兵は歓声を上げて喜びますが、東北出身の部隊は肩を震わせて泣きます。
 そして東北出身の部隊が観劇した翌朝、その部隊が栄養失調による死に瀕した兵士を担架で連れてきて、片付けていない雪景色を見せてやるのですが、その兵士たちが無表情に力の入らない指で紙の雪をいじるという光景を筆者は目撃することになります。
 私はこのくだりは何度再読しても涙が出てきます。

 ここまででしたら、いわば普通の感想です。
 書名を知っていただいたら、検索したらいっぱい出てきます。noteでも、多くの方が記事を書かれているので、それらもぜひ読んでください。ここまででしたら、私がこの記事を書くまでもありません。
 私が紹介したいのは、従軍慰安婦に言及した箇所です。

従軍慰安婦達の死
 「三味線の功徳」という章の、ちくま文庫版45頁の記載です。
 マノクワリの軍司令部の建物は、慰安所になる予定の建物でした。それが、慰安婦達が乗船した輸送船が到着直前に撃沈されたこともあり、その建物を司令部として活用することになったのです。著者はそれを建築班の兵隊との雑談で知りました。
 マノクワリ到着直前に死んだ慰安婦達、しかし無事到着したとしても、その後は厳しい日々が待っていたはずです。最終的に何人が帰国できたでしょうか?
 このくだりを読んで、そのように感じて粛然としました。しかし、著者にも建築班の兵隊にも、死んだ従軍慰安婦達への哀悼や同情が全く感じられないのです。それが衝撃的でした。

「それが、わしらの見ている前で・・・」
かれは、いまいましそうに、船が沈没する形を手でつくってみせて、私の顔をにらみつけた。潜水艦にやられたのだ。
「ピー屋変じて、軍司令部か」
とはいったものの、待望の生仏サマを目の前で沈められた痛憤は、わからないでもなかった。

「南の島に雪が降る」(ちくま文庫)より

 著者を批判する気持ちはありません。本書の随所にみられる、演芸分隊の仲間、観劇に来る将兵達、また内地で待つ家族等に対する親愛の情、細やかな心遣いとあまりに対照的な死んだ慰安婦達への冷淡さ、これはいったいどうしたことか?読んでいて、著者は本当にいい人だなと感じる、その人間味は戦友限定だったのか。
 衝撃を受けとめられないまま、共有しようとしてこの記事を書いています。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?