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蔵えうかSS 花霞




 壊れかけの電灯が点滅している。私は誰かを殺すためのナイフを握れた。握れたけれど、私の左手は小刻みに震えていた。

 怖くなった?

 人を殺すのが怖いんじゃない。ナイフを握る左手が透き通っているのが怖いんだ。私は消えかかっていた。やっぱり、解決部で見た資料はすべて事実か。なんで私だけがこんなに不幸な目に遭わなきゃいけないんだろう。なんで私が。なんで私が。





 幼い頃の記憶は思い出したくもないほど暗いけど、父が死んで箱猫に来てからはゆるやかにしあわせだった。私は変わっていたし、いわゆる天然だったから、ずっといじめられていたけど、箱猫に越してからは友達ができた。
 父が死んでから良いことづくしだったのに、それも全然長くは続かない。詳しく覚えてないのが腹立たしいけど、私の世界は明らかに異常と化した。
 ある日学校から帰ったら、宗教をやめたはずの母が、かぼちゃの着ぐるみを着て、「今日からえうかも仮装をして生活するのよ」と言った。「これは当たり前のことなのよ」「箱猫市全体で決まったこと」と付け加えられて、何のことか分からず逃走した。

 私が街に出た時にはもうほとんど手遅れで、街中が仮装をしていた。
「なにこれ?」
 ドッキリ?私を騙すためだけに箱猫市のみんなが?そんなことはないだろうなと思った。悪魔のコスプレ、球根のコスプレ、枕のコスプレ、系統も全部バラバラなのに、みんな決まって「君も早く仮装をしなきゃ」と言ってきて気味が悪かった。私はその場でもどしてしまって、動けなくなった所で悪い夢だと思うことにした。

 実際、悪い夢だったのかも。すぐに母がやってきて、「えうかはこれ」と言って、大きな黒い花を私に突き刺した。

 そして突き刺されてからのことは、ぼんやりとしか覚えていない。ただなんとなく普通の生活をしていたような気がしなくもない。ただ私は運がよかった。どんな花も、いずれは枯れる。

「……なにこれ?」

 花が枯れて、私は正気を取り戻した。もうその頃には街全体が仮装した人とお菓子を手に持つ人で溢れかえっていて、私もお菓子を片手に道路でへたり込んでいた。なにこれ?私はとりあえず家に帰ることにしたけれど、母はおらず、家からは異臭がしたのですぐに出た。やけに住宅街なのに人が多くて、仮装をしてない私を見つけるなり、近所のおじおばは私を襲ってきた。全然理由も分からず、ただただ怖くて私は家に戻って包丁とナイフとバッグを調達した。母は生きているだろうか。でもそんなに好きじゃないからどうでもいいな。

 私はやばくなったら仮装人を殺して、菓子を奪い取ってなんとか生き延びる生活をはじめた。本場のトリックオアトリート。正直、目の前のこいつらと本質的には何も変わらないなと思って、何度も吐く夜を乗り越えてきた。

 もう幾分の夜を過ごしたかも分からなくなってきた時、すべてを終わらせる悪魔がこの街に現れた。

 彼らは『解決部』といった。最初、私はこいつらを天使と見紛って、ノコノコ協力したりしていた。だって仮装なんかひとつもしてなくて、この仮装の謎を解明しようとしてくれるのだから、私も味方と思う。

 でも、私はぜんぜん騙されていた。彼らはこのイレギュラーになった世界ごと消しにきただけらしい。しかも、そっちの世界で引き起こした事象が、何故かこちらの世界に影響して無茶苦茶にしたのに、謎を解明するだけして消そうとする。彼らが謎を解明していくたびに、私の街は壊れていった。私の友達も、ぜんぜん見つからない。

 何が解決部なんだろう?
 世界を消すだけのどこが解決なのか、私は問い詰めたい気分だった。それでも彼らに逆らったら、私は簡単に消されてしまうのではないだろうか?と考えて、次第に彼らを後ろから観察するようになった。

 そんな時に彼らが帰るための穴が開いてーー

 私は、飛び込んでみた。終わりゆく世界にいても、死ぬだけだから。




ーーーーー




 気がついたら箱猫だった。私の知っている、綺麗な箱猫。仮装人なんて、いない箱猫。

 でもおかしいのは私だった。
 すれ違う人に話しかけど話しかけど、声は聞こえても、「え?幻聴?」と呟かれたり、悲鳴をあげて逃げられたりした。これはおかしいと思って自分の体を見ると、もう完全に消え掛かっていて絶句した。

「なんで…………」

 すぐに私は駆け出した。どうにかしなくちゃ、私は消える。本能的に私は駆け出した。箱猫には、とある教会があるのだ。もしかしたら、チャンスはある。

 住宅街には相応しくない白くて捻じ曲がった変な塔が目印のそれに着いた頃、私はもう足元が見えなくなっていて、仮装人の世界で何度も味わった『死の恐怖』が滲み出てきて嫌だった。なんで身体は消えかかっているのに、心は全然消えてくれないんだろう?心がなかったら、私は何も思うことなくスムーズに死に行けたのにな。

 変な塔から、一人の少女が出てきた。紛れもない私だった。でも私よりほんの少し時が進んでいて、多分高校生になっていた。

「聞こえますか、聞こえているでしょう、蔵えうか」
「……え?」

 私は私の無能さに賭けてみた。いきなりのことに驚き、「なんなんですか。気持ち悪い」と尖り切った声を聞いた瞬間、私は確信した。いじめられているままの私だって。この他人を警戒する猫背と、何が怖いのか爪で皮膚を抉るくらいぎゅうと掴んだ二の腕。間違いなく昔の私。ここはやっぱり、世界線が違うんだ。

 昔の私なら、きっと騙せる。

 私は解決部の活動を観察して、ぼんやり知っていた。存在証明が大事だということに。私がこの世界にいる証明は、私にしてもらおう。

 私は『御花様』という神を名乗った。私は……いや、こちらの蔵えうかは驚き払ったがすぐに警戒する。でも、私だから。私が信じるための最善策は一番知ってしまっている。声が聞こえる超常現象とか、壮絶ないじめの詳細とか、両親への憎しみをひた隠していることとか、悩めるあなたを導かんとする存在だと、私は主張した。徐々に実体を伴っていく身体に気持ち悪さを覚えながら、私は向こうから背負ってきたリュックの中に、黒くて大きなユーチャリスが入っていて安堵した。向こうでは仮装人から身を守る護身用だったけど、こんな使い方が出来る日が来るなんて。

「えうか、こちらを向きなさい」

 私は言った。皮肉にも、仮装人として生活していた私を『御花様』とすることで、私はこの世界でかろうじて存在することが出来たらしい。

 でも、そんなに上手くも行かなかった。まず私は、蔵えうかは宗教が好きじゃない。両親がのめり込んでいるものだから。特に父が。だから、そんな忌み嫌う宗教を広めるという行為を、蔵えうかは何度呼びかけてもやってくれなかった。半ばわかっていたことだけどね。蔵えうかはほんの少し私より大人になって、ほんの少し背も高いくせ、昔の私よりずっと幼くて純粋で騙されやすい子だった。なんでだろう?と思ったけど、父がいないのと、相変わらず高校に進学してもいじめられて周囲から浮いているのが多分原因だった。

 それから私は、箱猫の外には出られなかった。週に2回、教会にくるえうかと話すことでギリギリ存在を確立できたけど、このままじゃ結局消えると思った私は、蔵えうかを箱猫に引っ越させた。呆れるくらい騙されやすくて、私は私であることを恥じた。なんでこんなにも、一度信じたものを疑おうともしないのだろうか。
 宗教っぽく眼球者という存在を作ったりして、御花様という存在を確立していくと、私の身体は安定を増すようになった。でも、御花様として確立してしまったが故に、御花様としてしか行動できないもどかしさはあった。それに、私を地獄から救い出してくれた友達にも会えていない。こっちの世界では箱猫にいないのかもしれない。日々フラストレーションは溜まっていく。私を解決部に入れさせたのは良いものの、私を差し置いて『蔵えうか』として徐々に解決部という悪魔の集団と馴染んでいき、友達らしき人が増えていくのが嫌だった。私は私に嫉妬した。その度に私は私に変なアドバイスを送ったり、思い込みの激しさを利用したりもした。

 ……でも、ここまで私がサポートしてやったにも関わらず、蔵えうかは、宗教も解決部もやめてしまった。

 そして私はいま、消えかかっている。


ーーーーー


 それならせめて、この世界で私の依頼も聞けない、言いなりにもなってくれない、邪魔な住民を腹いせに殺してやろうかな。

 私は消えかかっているのを良いことに、真解部の調子に乗っている男の背後に立ち、蔵えうかのアカウントでメッセージを送った。バッグからゆっくりとナイフを取り出す。私は消えかかっているけど、側から見ると、ナイフだけ浮いて見えるのかな。どうでもいいか。

 彼が私のメッセージを読んで、後ろを振り向く。私はもうナイフを振りかぶっていた。

















 振り上げたナイフが動かない。手首が抑えられていた。

 後ろを振り返った真解部の男は、「う、うわあああ!!!!な、なんだよ!!!!」と私ーーいや、私の手首を抑えながら、ナイフを奪い取った男に言った。

 こいつ……木枯嵐とかいうやつか。

「邪魔するな!!」

 私が叫ぶと、真解部の男は目をがばりと見開いて、「な、なんだお前!!なんで女の声が出せるんだ!!な、なんで」と木枯嵐に怯える。

「僕じゃないですけどねー」
「いや!!お前以外いないだろ!!なんなんだよ!!ナイフ振り上げて、お、脅しか!!お前、先生どころか警察に言いつけてやる!!あ、いや、あの、あの、ドーナツ食べたのは悪かったからあの、命だけは、てか、命取る必要はねーだろ!?」
「取りませんよー。ちょっとばかり真解部の方を脅してみただけですー」
「な、なんでそんなことを!!」
「僕の友人が楽しみにしていたドーナツを盗んだからじゃないですかねー?」
「ひ、ひぃ!!!!ごめんなさい!!!!」

 情けない声をあげて、男は教室を飛び出して行った。

 銃刀法違反じゃないですかー?蔵えうかさん。と木枯嵐は言う。

「……何のつもり?」
「おおー。レアさんと違って真っ直ぐな怖さがありますねー。殺気ムンムンじゃないですかー。ドーナツでも食べに行きます?」
「……私のことを知っているのなら協力して」

 木枯嵐は、放課後は時間がないんですよー。と言って、走って行った。

 私は、このまま消えゆくだけか。自分の世界をめちゃくちゃにされて、消されて、腹いせに殺すこともできず。
 最初に箱猫に来た頃みたいに、私はすっかり透明になりかかっていた。もう時間の問題か。私は置き時計にナイフを投げて、教室を後にした。


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