見出し画像

ひきこもりのフリースペース

 いまから20年前のこと。自宅でひきこもっている人たちが通える場所として、フリースペースというものがありました。

 いまでもそれはあるのだけど、当時はそれができたばかりで、スタッフさん達も手探り状態で運営されていました。

 今回はそのときの想い出を書き綴ってみたいと思います。

 通い始めた動機についてです。まず、ひきこもっている状態をなんとかしたくて、親の会というものに連絡をして自分から参加しました。

 それから親の会のその会合でフリースペースの代表の方に出会い、誘われることになったのが始まりです。

 僕が家にいた頃は「ひきこもり」という言葉はまだありませんでした。

 だから学校にも行けない。家からも出ることができない。そんな生活を送っているのは世界で僕だけではないかと思いこんでいました。

 しかし二十歳前後あたりで、「ひきこもり」生活を送る人たちの事件というのが多発した時期がありました。

「あっ、世の中には俺と同じような生活をおくってる人がいるんだな〜」と思ったものです。

 その当時の事件で、偏見が頭の中で出来上がってしまったのでしょう。

 ひきこもり=犯罪者予備軍という認識があったので、自分のことは棚に上げてフリースペースに通う人たちにビビりまくっていました。

 しかし他に打つ手がないので、結局そこに通うことになりました。フリースペースとは犯罪者予備軍が溜まる魔の巣窟なのです。

 初めて参加したときには二十代後半の方が2名。そして前半が僕を含めて確か2名いたはずで、こじんまりとしたものでした。

 その中に1人当事者のお父さんが混じっていました。

 「あっ…お父さんがいるな…珍しいな…」と思ったものです。

 親の会に参加して感じたことですが、家族の問題に対して父親不在で、お母さんに任せっきりの家庭が多いという印象を受けました。家族の会と言っても基本的に母親ばかりで、我が子の「ひきこもり」状態にノータッチなのです。

 僕はそのお父さんと同じグループになって雑談をしていたのですが、なんだか様子がおかしい…。お父さんはやけにF-1の話や釣りの話をするし、スタッフさん達が彼を中心にして話をしている…。話を聞いてみると彼はひきこもりの当事者でした。しかも年が僕と同じ。

 180センチを超える体躯に顎髭に髪型も相まって風貌がお父さんなだけでした。その彼がマイカー持っているという事実を知り驚愕したのがフリースペースでのファーストインパクト。

 「働いてないくせになんで車持ってんだ…」

 自分の中のやっかみが凄まじかったです。しかもひきこもりのくせにフレンドリーで、毎回僕は内心葛藤を抱えながらも、車で駅まで送ってもらいました。

フリースペースの人々

 皆さん「ひきこもり」のわりにはよく喋ります。1人の時間が多く、本を読んだりネットをよく弄っているせいか、とにかく知識が豊富なのです。

 これは僕の被害妄想かもしれませんが、雑談が知識の応酬のような感じで、そのなかで無学の僕は呆然と立ち尽くすしかないのです。

 フリースペースではひたすら周囲を観察していました。そして外の世界で脱落してこの場にたどり着いたわけで、これ以上落ちぶれるわけにはいかない。だから、せめてこの中で一番最初に抜けてやると内に秘めながら鬱々と過ごしたものです。

 そんななか二十代後半の男性がいました。普段はそんなに喋ることがないのに、その日はなぜか彼と話す機会があったのです。

 男性「いつからひきこもりですか?」

 僕「僕は高校2年の頃ですね…朝家で支度が終わると突然体が動かなくなって、そこから外に出ることができなくなりました…Wさんは?」

 男性「僕は小学生の頃から離人症に罹ってて…急に世界が曲がったようになって…自分が…」

 僕「………」

 男性「それからずっと…病気に悩まされてきました…」

 僕「はあ…」

 男性「僕の人生は無意味でした…」

 僕も結構ハードだと思っていたがチャンチャラオカシなはなしなのです。

女の子という存在

 男ばかりのフリースペース。ひきこもり生活をおくる男女比は圧倒的に男性の方が多いのかもしれませんが、女性と男性とでは社会の役割が異なります。

 これはスタッフの方から聞いたことのある話なので すが、女性の場合ほぼ絶滅危惧種だとは思いますが、「家事手伝い」という肩書きがまだ一部では通用するようです。

 そして根本的な問題が解決できていなくても、結婚してそれで解決というパターンがあるそうです。

 結構身近にそのような女性がいたので、その時は腹が立ちました。

 また、いったいどこでその相手を見つけたんかい…。ひきこもりのくせに他人と濃密な付き合いができるんかい…、と憤りを感じたのでした。

 さて、男性ばかりのフリースペースに女性がやってくると、メンバーは色めき立ちます。しかも静かに音もなく色めき立つのです。

 ライオンの群れに肉を放り込むようなものです。普段は出席率が低いのに、確実に女の子が来る日にはメンバーの出席率が高まります。

 なんの生産的なこともやっていないくせに、女の子に密かにモテたいという願望をもっているメンバーに腹立たしさを感じます。

 僕はというと男女問わず人とのコミニュケーションがとれない問題がありました。人の態度や言葉に傷付けられる恐れがあって、頭の中で刃がお腹のあたりを突き立てられるイメージがありました。そして自分が崩壊するような感覚もあったので、気安く人と話ができませんでした。

 言葉にするなら女性問題は僕には「それどころではない」のことなのです。

 でもフリースペースに女性が来ると嬉しい気持ちはありました。

隠そうとするほどに窮地に陥る

 初期の頃、皆でこたつに入って歓談をするという時間がありました。

 17時にフリースペースは閉まるのでますが、僕はその30分ぐらい前から呼吸のし辛さを感じて、ずっと黙りこくっていたのです。

 中学生の頃から発症しているこの息が苦しくなる問題。

 しかし息が苦しい…なんて言えません。僕はメンバーに対して対抗心が強く、このなかで自分がいちばんまともであると思われる振る舞いをしようと思っていました。

 ここで皆にバレてしまうと僕の異常性が白日の元に晒されてしまう。最後まで隠し通そうとしたのですが、押し隠そうとするほど不思議なもので息の苦しさが強くなっていき、とうとう抑えきれなくなってしまいました。

 「さっ、そろそろお開きにしましょうかね〜」

 そう言って皆が立ち上がって身支度を始めるのですが、僕は立ち上がることができずに座ったままでした。

 どう考えても、帰れる状態ではありませんでした。

 「…………苦しいです…。息が苦しい……」

 「……えっ?」

 「動けないっす…」

 そういうと皆座って回復するまで待ってくれました。息が苦しいと正直に言うだけで気分がすごく楽になったことを覚えています。

 すると僕が1番対抗心を持っていたメンバーが諭してきたのです。

 「なっ!しんどい時にしんどいって言ったほうが楽になるだろ?」
 「………そうじゃね…」
 こたつの天板に頭を沈めたまま、彼の言うことをその通りだと受け入れたのでした。

 彼はよく「しんどい…」「たいぎぃ…」と口にして、そのことに僕はずっと反感を持っていたのですが、僕が間違っていたような気がします。なんだか微かに負けた気分になりました。

銭湯に行く

 小学生ぐらいで感覚が止まっているので、人前で裸になることがすこぶる恥ずかしいのです。

 フリースペースのすぐ近くに昔ながらの銭湯がありました。

 「いまから風呂に行こうと思うけど、みんな行く?」

 スタッフさんが促すと、みな水を打ったように鎮まりかえります。誰も手をあげません。

 「………はい。」

 すると1人だけ手をあげる強者がいました。初めてフリースペースに行った時にお父さんだと思っていた彼です。

 「おーーっ…」と内心驚き、そのどよめきが他のメンバーからも伝わってきそうでした。結局その日はスタッフ2名とその彼が銭湯に行き、僕は最後まで手をあげることができませんでした。

 いまのひきこもりの若い世代の人たちは知りませんが、僕らの周りではお風呂で裸になることに抵抗がある人がいて、いまでも銭湯に行くと股間を隠しっぱなしの人もいます。

 このときは銭湯に行くことはできませんでしたが、次の機会では意を決して銭湯に行くことができました。

 銭湯に行く気などこれまで毛頭無かったのが、この日を境に銭湯やサウナが好きになって、自分から積極的に通うようになりました。

 人って変わるものなんだと感じられる良い機会になりました。

フリースペースの日常

 手探りで運営されていたので、フリースペースに集まっても取り組むことは特にありません。字面どおりにフリースペースなのですから、まさしくフリーに好き勝手にやっていいのですが、ただ漫画を見たりネット見るだけなら家にいれば良いわけです。

 僕の目的は対人的な緊張や不安の克服。そして社会に出て働くことでした。

 友達を作りにきたわけではないという気持ちが強く、働くまでの筋道をこの場所に求めていましたが、そんなもの易々と準備されているわけではないので、メンバーとゲームをするしかないのです。

 だから我々は狂ったようにカードゲームのUNOや積み木のジェンガを繰り返していました。

 体は正直なもので、やることがないと感じると17時に閉館となるその1時間前とかに行くようになりました。

 行かないと変わらないな…。でも面倒くさいな…。ああ行かないとな…。どうしようかな…。その繰り返しで結局昼過ぎごろに家を出るのです。

 「なにしにきたんや?」と終わり間際に行くと、それは突っ込まれます。

 何もすることがない。何もすることがなければメンバーやスタッフとお話をするしかありません。

 腹を割ってというか、人と話すということがすごく苦手で、はっきりと僕は人を避けている。しかもフリースペースに来てるメンバーの中で1番僕が人を避けているということに流石に気付くようになります。

 そうなるとますます現状から目を背けるように、より早く社会に出て挽回しないといけない!と思うようになっていきました。 

 「早く仕事をした方が良いんですかね?」と聞かれることがフリースペース周辺の若者と関わっていると聞かれることがあります。

 そりゃできたら仕事はした方が良いとは思いますが、「良いんですかね?」と聞いてくるうちは多分仕事をしたくないのだと思います。

 世の中には色々な人がいます。「彼女ってつくった方が良いんですかね?」と聞かれたことがあります。「彼女がほしい!」ではなく、「つくった方が良いんですかね?」。

 つまり、彼女がほしいという欲求がないということです。じゃあ、いらないのではないでしょうか?

 僕はフリースペースからボランティアを始め、その後パートから8時間労働の非正規社員の立場を経ていまの仕事に就きました。

 その過程で変化をするときには、そのときの流れがあって変化をしていったと思います。決して「変わった方が良いのかな…やってみようかな…」という感じではなく、必然による変化でした。

 だからそんなにバタつく必要もなく、流れに身を任せても良いのかもしれません。

 この感覚伝わるでしょうか?やりたくないのに変わっていってもうまく行くとは思えません。

 そう思えると気が楽になってきませんか?

 23歳からフリースペースに通い始め、パートの仕事を始めたのは26歳。ひとまずハッピーエンドかなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?