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元ひきこもり働きかける。
18歳の頃、私は四国のお遍路で巡礼をしていた。
そのとき時期の私は自宅でひきこもり生活を送っており、根性を養うという名目の下お遍路に挑戦していた。
建設関係の人たち
愛媛県のとある民宿に止まっていたときのお話。
そこの民宿には建設関係の人たちも多く泊まり込んでいた。
夕方にお風呂に浸かっているとその建設関係の集団が入ってきた。
洗髪していた私がそっと振り返ってみると、その中の一人の男性が湯船に桶を突っ込んでバチャバチャかき回していた。
大股を広げて湯船の中をかき回す彼の後ろ姿と、振り返って見上げた私の視線の位置関係が丁度、股の間から見える玉の裏っかわだった。初対面が球の裏っかわって結構強烈だった。
その人たちとは食堂でも顔を合わせた。
その日はスキヤキだったのだが、彼等は西日本のスキヤキの甘めの味付けが口に合わなかったようだ。
「あめー!あめー!」と言いながらドボドボ醤油をぶち込む。私には丁度良い味付けだが彼等からしたら食えたものではないらしい。
そのグループは4人いた。出身は東北と長野の人たちだった。そのうちの1人は刺青が入っており、若い頃にヤンチャだったことが窺えた。
25年以上前の四国のお遍路はまだポピュラーなものではなかったので、歩いている若者はあまりいなかった。
食堂とかでご飯を食べていると、トラック運転手の人とかが珍しがって私に話しかけてくることがたまにあった。
今回もご多分に漏れず、頭髪が薄くなった親方が私に話しかけてきた。
学校に行かずにお遍路をしているという話をすると、親方はせっかくの機会だから俺たちに付いてきて現場の手伝いをしないか?という申し出。
私と親方が話しを続けている間、他のメンバーは民宿を運営している奥さんをいじり倒していた。
この民宿は旦那さんが料理を作っており、奥様が給仕のような役を担っていた。
この奥様は脳血管系の病気で後遺症が残っていた。
その影響で何となく雰囲気に違和感があり、人の言うことを何でも真に受ける人だった。
その奥さんに向かって、俳優だと嘘をついて色紙にサインを書いて渡すなど嘘ばかりついて皆でおちょくっていた。
純朴な東北と長野の人たちの印象が一気に変わった。
この人たちと同行して大丈夫か・・?と不安にもなった。
いま振り返ってみると、対人恐怖があった私がよく一緒に同行したものだなと思う。
初日
![](https://assets.st-note.com/img/1694757546121-z6eJimwUND.jpg?width=800)
しっかりと寝坊した。
起きるとすでにもぬけの殻。1日暇になってしまったので、とりあえず民宿近くの札所にまで行き引き返してきた。
夕方になると皆が帰ってきた。
「お前〜よく眠ってたな〜。おい!置いてくぞって蹴っても全然起きなかったもんな〜」
と東北のイントネーションで話しかけてきた。怒ってなくて助かった。すると親方がやってきて明日は同行するようにと言ってきた。
早くお遍路を終わらしたかったので先に進みたかったのだが、それよりも宿代が痛い・・・。
2日目
![](https://assets.st-note.com/img/1694757461238-df81JBmXiX.jpg?width=800)
流石にこの日に寝坊してしまうと何をされるかわからなかったので意地でも起きた。
早朝ということもあって皆さんテンションが低かった。奥さんをいじってキャッキャッと騒いでいた夜とは大違いだった。
現場に到着すると何やら建物の骨組みのようなものがあり、その作業の続きに着手する。
これが何を造っているのか全くわからないまま、私は言われた通りに骨組みのパーツを運んだ。そして言われた通りに屋根に登っているメンバーに骨組みを渡していく。
私にできることは限られている。その後は親方に言われてビスなどの細かなパーツの数を数えた。
パーツを数えながら作業を眺めていると、骨組みの側面が真っ直ぐに立て付けられておらず、明らかに湾曲していることに気付いた。すると親方がやってきて掌でバンバンと骨組みの湾曲部を叩き始めた。
無理やり押し込んで骨組みが真っ直ぐになると「よしっ!」と呟いて親方はその場から去っていった。「よしっ!」ではない。結構適当だ。
その日の晩。再び皆で晩飯を食べた。
お酒が回って陽気になった親方は幸せそうに踊っていた。
親方「ああ・・・ひとつ忠告しとくけど不倫なんてするもんじゃないぞ・・・。ばれたら大変なことになるぞ・・。」
私「バレたんですか?」
親方「バレた・・慰謝料払った・・・・」
18歳になったばかりの私にいかに不貞が大変なことかを教えてくれた。
たまに大人は「保証人にはなるな・・」とか、「電車止めるとそのあと大変だから置き石とかするな・・」とか言ってくる。きっとその類の忠告なのだと思う。
本当に彼等にはお世話になった。
2日目の宿泊代は1日現場に出たバイト代ということで、親方がすべて支払ってくれていた。
私はその後、精神療法というものを病院で受けるようになるのだが、担当していた先生がこのようなことを言っていた。
「人から受けた傷は人によって癒されますからね・・。」
人が怖くても、人の優しさに触れることで人に対する認識が変わるということだと思う。
25年以上前の話なので、親方はもう良い年になっていると思うし、他のメンバーさんたちも結構なおっさんになっていると思う。
皆さんいま何をしているのかとたまに思うこともあるのだった。
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