ひきこもり。教習所に通い始める
「あんたは時間だけはたくさんあるんだから免許を取って海にでも行ってきなさい・・。」
これは母がよく私に言っていた言葉です。
原付自動車免許の取得は母からの勧めが切っ掛けでした。
はっきりとどの時期に取得に行ったかは定かではありません。
確か20歳は超えていたような気がします。
ただ書くことや読むことに私は執着していたため、それ以外に時間を使うことができず、免許取得後も相変わらず私は家にこもる生活を続けていました。
20歳を超えて原付免許だけを取りに行く人は稀有な存在なのではないでしょうか?それをするのは高校生ぐらいだと思います。
きっと私だけ頭抜けて年長者なんだろうな・・。
ドキドキしながら教習所に通ってみると、面白みの無いぐらいに予想通りに幼い高校生か大学生の女の子2人にヤンキーっぽい少年と私の4人だけでした。
私は1人っきりでも構わなかったのですが、ヤンキー少年がちょくちょく私に話しかけてきました。ヤンキーでも一人は寂しいのでしょう。
私は内心ビビりながらも年長者の余裕をうっすらと漂わせて話をしました。
ついに車の免許取得へ
自動車免許の取得は「社会的ひきこもり」者が通うフリースペースのスタッフさんの勧めで取りに行くことになりました。
25歳〜26歳になる時期でした。
私は半年ほどボランティアで障害者施設に通い、その後同時に自動車免許とヘルパー講習を受けに行きました。
原付にしても自動車免許にしても、勧められて取得したもので、自発的に動きし出したものではありません。
しかし私がその気にならなければ行動できなかったことなので、この時に人生の流れというものがあるのだと感じました。
いくら人から勧められても、響かないこともあるし、響かなければ行動はできないのです。
毎日同じ時間にボランティア施設に通って、障害をもたれている方の世界を覗かせて頂くことで社会に出ていく自信も少しずつ芽生えたのだと思います。
その後は「とんとん拍子」でことが進み、ヘルパー講習と自動車免許を所得した頃に彼女ができて、パートの仕事にも就くことができました。
ひきこもってから初めての「とんとん拍子」の時期でした。
さて自動車免許を取得した時の話ですが、私は母に相談してミッションではなくオートマ限定で免許を取ることにしました。
理由としてはミッションは難しく、オートマは簡単だから取得までの日数がかからないということが理由でした。
オートマは女の子が取るもので、男がミッションでないのはダサいことなのではないかと思いましたが、途中で通えなくなってしまう恐れもあるので、見栄を張っている場合ではありません。
途中で投げ出してしまったら20万ほどのお金がパーとなってしまうのです。
教習所に行ってみると案の定オートマ限定の用紙を持っている男性は私だけで、あとは女子大生らしき女の子だけでした。
技能教習を受ける時に教習生が持参する用紙は、オートマとミッションで色分けをされていたので、遠くからでもオートマの人と判別ができます。
女の子たちからはダサいと思われ、男からは舐められる可能性があるので、私は毎回脇に用紙を挟んで隠していました。
またもう一つ危惧することがあって、それは教官から何をしているかを聞かれることでした。
頭の中で尋ねられた時のシュミレーションを何度も行いました。
「君・・25歳で平日に教習所に来てるけど、普段何してんの?」
「プロレスラーの卵です。普段は巡業で回ってるんですが、今は巡業がオフなので、その間で免許を取ろうかなと思って・・」
すぐにわかる嘘を本気でつこうとしていました。
教官との関係
昔、自動車免許を取った人に聞くと、必ずといって良いほど教習所の教官は横柄で腹が立つと言います。
私が免許を取得した20年ほど前は、だいぶ教官の振る舞いがマイルドになっていた時代でした。
しかし人気のない教官は、なぜ人気がないか肯けるような態度を依然とっていました。
技能講習の予約は可能なのですが、私は不登校になったときに体が動かなくなった時のトラウマがあって、自分の体調が信じられずにいました。
なので、私は毎回教習所に行った時に余っている教官(つまり人気の無い教官)を当日指名していたのです。
人気のない教官はとにかくムカつき、人の神経を逆撫でしてきます。
しかも慣れない運転をしているのにうるさいし、口数が多い。そのうえ言葉が荒い。それがあって私はカリカリしながら運転をしていました。
話を聞きながら慣れない運転ができるほど私のキャパシティーは大きくありません。「黙れ!おっさん!」と言いそうになるのでした。
しかし、たまにはこのおっさんも良いことを言う時があるのです。
この日もムカムカしながら教習が終わった時に、教官がシートベルトを外しながら苦言を呈してきました。
「やり方ばかりにこだわらずに・・。状況を見て自分で判断するように・・。」
間違えたくないという思いに加え、他人への依存心が強いので教官に正しい運転方法を逐一確認していたのでした。
やり方の正しさに過剰にこだわる私のことをこの教官はよく見ていました。
イライラしていたのですが、この言葉にはっと我に戻って冷静になりました。
よく眠る教官
もう1人私は人気のない教官をよく指名していました。
教え方がうまい人でした。教習所の教本に書かれていることは嘘ばかりと言い放ち、セオリーを無視した縦列駐車の方法などを教えていました。
確かに教本に書かれている駐車の仕方より、教官のアドバイスの方がわかりやすくて簡単でした。
そして彼は口調も荒っぽくなかったのでイラつくことも少なかったのですが、その後の振る舞いが頂けません。
「ここの教習所はもうダメ・・沈み行く泥舟・・・あと教官はよく生徒に手を出すよ・・・。俺パソコン詳しいから修理頼まれることあるんよ〜それでそいつの家に行ったらね、元生徒がおったりするんよ〜」
そして隙あらば居眠りもする。
まだ悪口・ゴシップなど運転と関係ない話までなら許せるのですが、居眠りは頂けません。
このコマは私が買った時間です。その時間にどうして眠って心地よくなってんだ、お前は!!とムッとくるのでした。
「今度友達がメイドカフェを経営してね、共同出資をするかもしれんのよ・・。」
そんなことは知らん!!
教習所を卒業する日。手続きを済ませて事務所から出ると、たまたま「メイドカフェ共同出資」の教官が助手席に乗っている教習車が、目の前を通り過ぎていきました。
視界に入ったその車に乗る教官は、赤子のような幸せそうな顔で居眠りをしていました。
そのときの教官の寝顔がスローモーションに見えて、不思議な気分になりました。
寝顔を見ながら私は「相変わらずだね・・さようなら・・。」と呟いたのでした。
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