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『問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション』

日々私達は、無意識にしろ意識的にしろ自分たちは「問い」に支配されていると感じる。どういう問い方をするかは、どう世界に対する分析の着眼点を置くか、となる。その問い方がずれていると、まったく前に進まなかったり、うまく問いが見つけられると問題はすっと解決に至ったりする。

そんなことをふと考えて、『問いのデザイン: 創造的対話のファシリテーション』を読んだのです。

振り返りの会などをしていると、ファシリテーションの役回りを中心になって回るような時間が増えてきた。果たして自分はうまく引き出せているか、いい問いを投げかけられているか、逆に追い込むような・困惑させるような問いになっていないか。そんな漠然とした停滞感に近い悩みを抱え、本書を手にとった。

現代社会の病 1「認識の固定化」

著者は、ファシリテーターとしての仕事の中で、現代社会の 2つの病と闘ってきたと回顧している。そのひとつが、「認識の固定化」。

当事者に暗黙のうちに形成された認識(前提となっているものの見方・固定観念)によって、物事の深い理解や、創造的な発想が阻害されている状態です。

「なぜこうなっているのか?」といったことが、当たり前のものとしてなれてくると改めて考えることはしなくなってしまう。昨今話題の「悪しき慣例主義」といった話や、新しく入社した人が新鮮な目で「なぜこうなっているの?」っていう思う素朴な疑問に長くいると気が付かなかったりする話は、こういう病のひとつなのかもしれない。

また、なまじ「これまでうまくやってきた」という自負があったりすると、それまでの当人の学習・経験が、その変化の足かせになる。ソフトウェア開発の世界では、ときに「こちらの流派・設計思想では...」といった形で設計思想の違いで、議論の末相手のアイデアをシャットアウトしてしまう、というシーンをたまに見かける。これも一つ、認識の固定家として危うい瞬間だと感じる(「そもそも『設計思想の違いですね』って言えるほどのたいそうな思想家なんだっけ」みたいなことはうっすら思う性格の悪さを自分ははらんでいる)。

そして、この病に対して、一度習得したことを「捨てる」という変化を、「学習棄却(アンラーニング)」といい、ある人は周りにアンラーニングを促すために日々格闘していたりする。

現代社会の病 2「関係性の固定化」

ふたつめが、関係性の固定化。

当事者同士の認識に断絶があるまま関係性が形成されてしまい、相互理解や、創造的なコミュニケーションが阻害されている状態。

他者との関係性は固定されていく。「先輩と後輩」・「教師と生徒」などの明示的な役割分担から、暗黙的に感じるような"心理的契約(Psychological Contract)"と呼ばれる関係性まで、他社との関係性は固定化されていく。

心理的契約というコンセプトは 1960 年代にアメリカで登場したもので、それをアカデミックなコンセプトとして定義し、実証可能なまでに精緻化させたことで有名なのは、カーネギー・メロン大学の DeniseRousseau という方だそう(参考文献:ルソー「組織における心理的契約」)。

ここで、お互いずれがあったまま関係性が固定化されてしまうと、その溝を乗り越えることは到底難しくなる。実際、自分の中で「あの人とはわかりあえない」みたいに思ってしまうと、そこから長い時間が立つと修復不可能な心の溝が生まれてしまうことも有る。

かの佐藤一斎は、そういうずれのある関係性などにおいて、当人の評価・アイデアの評価が愛憎によってぶれてしまいことを「愛悪の念頭、最も藻鑑を累わす」と諌めたものだが、この関係性の固定化の病が時代を超えて普遍的が故だろうと感じる。

問いの性質

本書は、最初に「問いのデザインとはなにか」という話が展開されるが、その中で話されているのは、問いがどのような性質を持っているかだ。問いは以下の7つの性質を持つとしていて、これらは循環していくサイクルだと解説している。

1. 問いの設定によって、導かれる答えは変わりうる
2. 問いは、思考と感情を刺激する
3. 問いは、集団のコミュニケーションを誘発する
4. 対話を通して問いに向き合う過程で、個人の認識は内省される
5. 対話を通して問いに向き合う過程で、集団の関係性は再構築される
6. 問いは、創造的対話のトリガーになる
7. 問いは、創造的対話を通して、新たな別の問いを生み出す

1つ目が、「問いの設定によって、導かれる答えは変わりうる」という点。筆者の例では、カーアクセサリーの企画段階の問いを例にしていた。

「人工知能時代にカーナビが生き残るには?」という問いを設定するか、「自動運転社会のどんな移動の時間をデザインしたいか?」という問いを設定するかで、導かれる答えは変わる。

こういう話は、ソフトウェア開発では超身近というか、なまじ開発者は技術を起点に問いを作ってしまう。「AWSのこのサービスを使うことでなにができるか?」・「新技術を使って何ができる?」と、手段ベースの問いを設定してしまう職業傾向にあると思う。

2つ目が、「問いは、思考と感情を刺激する」という点。人は問われると、その質問から考えるだけでなく、感情も刺激される。たとえば、「二位じゃだめなんですか?」なんて問われると、一位を維持する理由を思考しつつも、少しモヤッとした感情が刺激されたりするだろう(いい例なのかわからない)。

3つ目が、「問いは、集団のコミュニケーションを誘発する」という点。問いから生まれるコミュニケーションには主に「討論」・「議論」・「対話」・「雑談」の主に4種類だとされる。この分類は結構「場」を作る人間としては基本的だけど抑えておくととてもいい視点だなと思う。「今のこの場で行いたいコミュニケーションはどれですか?」っていう視点をミーティングなどをする際には意識しておくと良さそうだ。なお、これらの違いはおおむねこんな感じ。

討論(debate): どちらの立場の意見が正しいかを決める話し合い
議論(discussion): 合意形成・意思決定のための納得解を決める話し合い
対話(dialogue): 自由な雰囲気のなかで行われる新たな意味付けをつくる話し合い
雑談(chat): 自由な雰囲気のなかで行われる気軽な挨拶や情報のやり取り

昨今のWFH事情では、会社組織内での社員同士の雑談が重要ですよね、っていう話が度々出たりするが、物理的に出社していたことで行われていたコミュニケーションは「雑談」に該当するものだったと言えるのだろう。

また、技術者の雑談の中では、「新しいAWSの技術が出て〜」といった情報のやり取りがカジュアルに行われる。その中で「こういう事できたら良さそうですよね」と情報交換の中で次やっていけばよさそうと思っていることがわかったりするが、雑談の場ではそこまで深く相互の考えを深く理解する時間も限られたりする。明示的に対話の時間として、特定の構想や考えについて、相互に「理解を深める」場を設ける、といったことも、この4種類の枠組みの意識で分類して意識付けすると、場の持ち方・維持力に繋がりそうだ。

4つ目が、「対話を通して問いに向き合う過程で、個人の認識は内省される」という点。相互に考えを深く理解し合うような対話のコミュニケーションをする際に、お互いに微妙に違う視点で同じ物事を見ていることに気がつく時がある。たとえば、私は背景理論や出自などから「その概念にはこういう考案者の想いがあり〜」などに興味・関心が向きがちなので、デザイン・パターンやXPなどはそういう視点で話しがちな人間だが、逆に目の前の実際のプログラミング業務でどう使うか・活用するかという視点で見ると、全く違う視点から同じものを見ることになる。いわば、対話している相互で「暗黙の前提」が違っているということ。

これについて、あくまで「対話」なので、どちらの視点がより正しいと話すことは主眼にないので重要ではないのだが、そういう対話を通して自分がどういう視点で見ていたか・どういう認識が前提にあったのか、という自己のメタ認識が行われる。これを「個人の認識は内省される」と表現している。これは、「リフレクション」とも言われる認知プロセスの一つのよう。

そして、自分の暗黙の前提をメタ認知すると、過去の経験に対して意味がついてきたり、物の見方がさらに再構築されて、たとえば対話していた相手の認識の仕方を参考に取り入れたりする。いわば対話によって無自覚だった認識・価値観を変えたりする。これは、成人教育学の権威的存在であるジャック・メジロー氏は、「変形学習(変容的学習)」と用語定義している。

更にその対話というプロセスを通して、新しい関係性を気づきあげていこう、というのが宇田川氏が、著書『他者と働く』で主張している内容。

さらにあと3つほど「問い」がどのような性質を持っているかを解説しているが、詳しくは本書を手にとってもらうとして。

「問題」と「課題」の定義・違い

本書では、まず「問題」と「課題」という言葉の2つをこれまでの問題解決研究から参照した上で、区別・定義しています。

まず、「問題」の定義です。

何かしらの目標があり、それに対して動機づけられているが、到達の方法や道筋がわからない、試みてもうまくいかない状況のこと

「漠然としたうまくいかない状況」なんかも問題として認識されるようです。問題の初期状態(スタート)と目標状態(ゴール)が決まっていて、到達までのプロセスがはっきりしている問題は「良定義問題(well-defined problems)」と呼ばれています。逆に、問題に対する解が2つ以上ある可能性があり、目標状況がはっきりしない場合は、「難定義問題(ill-defined-problems)」と呼ばれます。

ソフトウェア開発では、まだユーザーが抱えている問題はあるが、それに対してどのようなプロダクトを提供すればそれが解決するかわからない、といった場合には目標状況がはっきりしていない難定義問題と言えそうです。

ソフトウェア開発、特にアジャイルでは、クネビンフレームワークを引き合いに出すことがおおいですが、クネビンでいうところの「複雑(complex)」が、難定義問題に該当するような理解をしました。

また、関係者の間で「解決すべきだ」と前向きに合意された問題のことを「課題」と呼ぶことと、著書内ではしています。

結構この「問題」と「課題」という区別は、チーム運営を考える上では好きな分類。個人の中で「これは問題だよなぁ」って思っているものをどう引き上げて、チームの中で合意の取れた「課題」へと昇華させていくか、ということを考えるのですが、こういう言語化ができる語彙整理で非常によき。

課題設定の罠

課題設定を失敗すると、視野が狭くなってしまったり、別の視点から課題を再定義しないといけなくなってしまう。このような課題設定の罠を著書では、5つほど紹介している

1. 自分本位
2. 自己目的化
3. ネガティブ・他責
4. 優等生
5. 壮大

1つ目は、自己本位。関係者全員にとって建設的な課題になっていなかったり、社会的意義が欠如したりしているケース。

2つ目は、自己目的化。具体的なツールやソリューションの導入自体が自己目的化してしまう。ソフトウェアエンジニアのあるある中のあるある。

優等生と壮大は併発しがちなようで、実際そうだなと思うもので、社会的通年的に「よし」とされているものを前提にしているがゆえに、問いが深まらず複数グループで議論しても同じ結論にしかならかなったり、「100年後の人類は〜」といった問題を壮大にさせてしまう場合当事者意識が薄れてしまったり...。

自己目的化なんかは、「技術は手段なんだから云々」などの話で色々定期的に出るので、なんだかんだ意識することはあると思う(もう長らくmuteワードに登録していて本当にそうなのかはわかっていない)。

問題を捉える思考法

さてさて、課題の設定が大事だね、問いが大事だね、すごいね、と抑えた上で、さて問題状況にどういう心構えで対峙しますかというお話。この思考法は5つあるとしています。

1. 素朴思考
2. 天邪鬼思考
3. 道具思考
4. 構造化思考
5. 哲学的思考

これらの思考法は、物事を深堀りしていく際の思考なので、誰か他の人のアイデアに対して質問する、といった際の質問アイデアを生み出す視点とも言えると感じた。

素朴思考とは、その名の通りで、何気ない疑問を投げかけながら、問題の輪郭を掘り下げていくという考え方。「これはなんで?」・「どうして?」という好奇心で問題に対して理解を深めていくようなアプローチ方法。

天邪鬼思考とは、目の前の事情を批判的に疑い、ひねくれた視点から物事を捉える視点。

道具思考とは、物理的な道具というよりかは、知識・記号・ルールや概念に頼ってみるというような方法です。

著書内では、代表例として、この本が紹介されていました。

心理学者のレフ・ヴィコツキー氏は、「人間は、道具(言語・方略・文字・図解・記号)を媒介して対象に働きかける」ということをモデル化した人物です。

わかり易い例だと、カメラレンズを通してみた花と、肉眼で見た花は、見え方が違う、といった例の思考版と言えます。

パタン・ランゲージを人間活動の分野で応用を試みている井庭 崇氏は、パターンを「認識のメガネ』として使うことで、現実世界をより解釈できるようになる、といった(感じ)の内容を書籍内で語っていました。

プレゼンテーション・パターンは、プレゼンテーションについての「認識のメガネ」だと捉えることができます。このメガネをかけることで、これまで注目してこなかった部分が浮かび上がってきます。たとえば、ある人のプレゼンテーションを見るときに、プレゼンテーション・パターンのメガネを通して見ることで、その人がどのような工夫をしてつくっているのかを理解することができます。あるいは、自分のプレゼンテーションを振り返ることで、自分がどのようにプレゼンテーションをしてきのかや、今何ができていないかが見えてきます。

道具思考という考え方は、「認識のメガネ」と読んでいたものと類似概念として脳内マッピングされました。

構造化思考は、問題の構成要素を俯瞰し、その要素同士の関係性を分析・整理すること。建築家および都市設計家であるクリストファー・アレグザンダーは、建築のデザイン問題を要素分解した上で、ツリー構造に整理したり、はたまたそれぞれが重なり合うセミラティス構造と分析したりといった研究をしていた。

その考え方が構造化思考だなと理解した。そして、こういうふうにこれまで見てきたものを著者の思考法の分類に基づいて再評価・考察・分析している、と言う自身のこの振る舞い自体もメタ認識すると、道具思考ですね。

哲学的思考は、そもそも「哲学的に考えるとはなにか?」と言う話になってしまうが、それについて、哲学者の苫野一徳氏の考え方を参照しています。

彼は、本質を探ることを「本質観取する」と表現しています。この本質観取は、次の書籍でより詳細に解説されているとのことで、時がたったら手に取りたい。

課題定義する手順

課題を定義することについて、適切な課題を定義することが重要だと、ここまでの話で心得ました。本書では、課題定義ステップを5つ置いています。

1. 要件の確認
2. 目標の精緻化
3. 阻害要因の検討
4. 目標の再設定
5. 課題の定義

まずは、要件確認。問題状況の解決を望んでいる当事者が認識している問題の要件について確認する。ある種、ここで「課題」として取り上げることになる。ここでは、素朴思考や天邪鬼思考のバランスを上手くとりながら、様々な角度で質問をなげかけることで、理解を深めることに務める。

そして、目標の精緻化。当事者の中で要件が整理されていることはまれなので、そこから目標を精緻していきます。目標の解像度を上げるにあたって、「期間」・「優先度」・「目標の性質」の観点から分類することが効果的だとしています(これは結構毎日役になっている観点)。

期間とは、どのくらいの期間で?っていう観点で、短期的なのか中期的なのか長期的なのか。これは、ウェブサービスを提供しているような事業会社でソフトウェアエンジニアをしていると、よくある話で「数年スパンではこうしたいけど、中期的にはこういうところを目指したい、そのために短期的にこの1ヶ月はこういうことがしたい」と言うふうに期間で分類すると、長期的な計画が見えてくるし、知に足がついた目標へと落とし込むことができる。

優先度は、つけないとどこに向かっていいかわからなくなるが、著者は「松竹梅」(理想的な目標・現実的な目標・最低限の目標)で整理するようにしているらしい。これなんかもよくある話で、ユーザー視点・ビジネス視点・技術者視点での最適解となる理想的な目標があったとして、しかしそれをやるには工数がかかってユーザーへのリリースが遅れてしまう、といったふうにバランスを取ることが求められる昨今。

なおなぜ、ユーザー視点・ビジネス視点・技術者視点の3つを上げたかっていうのは、プロダクトマネジメントトライアングルというかんがえかたにちょっと自身が影響を受けていることに由来する。

そして、目標の性質とは、掲げる目標がなにか、という話で、具体的には成果目標・プロセス目標・ビジョンという整理。構図としては、

現状 --> プロセス目標 --> 成果目標 --> ビジョン

という構図。それぞれを言葉にすると、

成果目標:「期末試験で学年20以内に入る」といった具体的な成果
プロセス目標:成果目標にたどり着くまでに、問題状況の当事者たちにどのような気付きや学習が生まれると望ましいか
ビジョン:成果目標・プロセス目標の先に何を目指すか

最近は、XPが好きなのだが、XPはプログラマが生き生きと働くことをビジョンにし、C3プロジェクトでの実践例をそのためのパターンとしてまとめていっていた(と解釈している)。

こういった取り組みも、問題の性質をもって分類すると面白いし、チームにおいてどのように主体性を持ってどこに影響をもちたいか、という自己のメタ認識のフレームにもなりそう。

たとえば、自分はプロジェクトを通じて、チームの状態どのように変化するか・するべきか、といったことを日々考えている(つもりでいる)のだが、それはいわゆる「成果目標の達成にコミットしつつ、プロセス目標に対して主導的意識を持っている」と表現ができる。

ファシリテーションの技法

さて、ファシリテーションの話だが、ファシリテーションについては、著書では、広義・狭義の2つの定義をしている。

広義 = 問題の本質を捉え直し、解くべき課題を定義し、課題解決のプロセスに奔走すること
狭義 = ワークショップの司会者として前に立ち、参加者に問いを投げかけながら、創造的なプロセスを支援する行為

ここまでの話は、広義のファシリテーションの話といえて、本書では「5章ファシリテーションの技法」にて、狭義のファシリテーション、つまり具体的な技術について様々紹介しています。何かワークショップを開催する際には見返すと宝の山かもしれません。リフレーミングの問い・クエスチョンのバリエーションなどたくさんのアイデアがあります。この章は困ったときに何度も読み直すことになりそう。個人的にいくつかこれは脳内にストックしておこうと思ったのだけ抜粋します。

ファシリテーターの役割

狭義のファシリテーションにおいて、ファシリテーターの役割は次のような事が挙げられています。

- プログラムデザインにおいて作成した問いを、適切な伝え方で、参加者に届ける
- 投げかけた問いを起点として生まれる参加者の思考・対話プロセスを丁寧に見守る
- 状況が思わしくなければ、問いの修正・時間調整・新たな問いの投げかけによって、対話のプロセスに伴走する
...etc

これらの役割に当たり、必要なコアスキルを5つあげています。

説明力
場の観察力
即興力
情報編集力
リフレーミング力
場のホールド力

説明力は、文字通りわかりやすく伝達する力を指します。「プログラムデザインにおいて作成した問いを、適切な伝え方で、参加者に届ける」ために必要なスキルです。正しく意図を伝えるためのポイントを著者は3つあげています。

1. 問いの焦点を明確に伝える
2. 背景の意図を伝える
3. 前の問いとのつながりについて補足する

また、意図を伝えるだけでは参加者を前向きにすることはできません。これはプレゼンテーションでも言えることですが、参加者の好奇心に基づく注意を引いたり、参加者自身との関連性を強く意識させることが必要です。

情報編集力は、複数の情報を組み合わせて、新しい意味を持った情報へまとめ上げる力を指します。共通点を探ったり、相違点を探ったり、構造化したり、視点の不足を探ることで、更に深い理解を促す対話になったり、合意に必要不可欠な観点を補うことに繋がります。

導入のファシリテーション

会の導入は、その参加者の参加態度を決定づける時間になります。実際、会社でいくつか勉強会や業務上のコミュニケーションイベントを主催していると、最初の5分でどういう参加の構えを促せるかは、場をホールドするためにも欠かせないと痛感します。

『アジャイルレトロスペクティブズ』という書籍内では、このことが抑えられていて、ESVPなど「場を設定するアクティビティ」が紹介されています。

スクラムをやっていたりすると、レトロスペクティブを一つのイベントとして設けることになりますが、場をどう設定するか、設定し続けるか、と言う観点の重要性は、ファシリテーションと言う視点で再確認できる。

効果を高める4タイプの即興問いかけ

ファシリテーションの効果を高める4タイプの即興問いかけを整理しています。ありがたいですねぇ。

1. シンプル・クエスチョン
2. ティーチング・クエスチョン
3. コーチング・クエスチョン
4. フィロソフィカル・クエスチョン

シンプル・クエスチョンは、先程の素朴思考に該当する素朴な疑問です。これは、「変化を起こすための意図的介入」というよりかは、「わからないから尋ねる」というケースで用いられます。

ティーチング・クエスチョンは、思考・対話を深める方向性が明確であるが、参加者の対話・プロセスでは、それが検討されていないという場合に、教育的な意図を持って介入するパターンです。問う側が答えを持っていて、参加者に気づかせるのが特徴です。

コーチング・クエスチョンは、コーチングのスタンスで、参加者の意欲・思考・価値観を引き出すためのものです。参加者の意見を引き出し、コミュニケーションを前進させることで、気づきを深める効果を得ます。問われる側が答えを持っていて、問う側がそれを引き出すという構図です。この辺の分野だと、昨今だと 1on1 ミーティングでのコーチング関連が参考になる気がする。

フィロソフィカル・クエスチョンは、哲学的な問いということになりますが、前述した哲学的思考の分野ですね。「そもそもXxxとはなんなのでしょう?」という問いが例としてあげられますね。相互答えを持っていなくて共に考える時間になります。

おわりに

概要だけ書きつらていますが、著書ではたくさんの実例を交えて解説しているため、これらのやり方はとても具体的でわかりやすく解説されています。「問い」に対してお困りの方はぜひ。

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