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10月21日の日記 ボヘミアン・ラプソディを観た

・ボヘミアン・ラプソディを観た。詳しいことは分からずにぼーっとしていたけど、ライブ・エイドの前からポロポロと涙が止まらなくなっていた。よ、よすぎ……。

・犬王のことを思い出した。

・犬王と友有は、フレディとは違いパフォーマーとしての悩みは描かれなかった。それはやっぱりお金のことで揉める必要がなかったからかもしれないし、二人が同じぐらいの天才だったからなのかもしれない。

・フレディが孤独になっていったのはまさしく「スターになったから」で、敏感になったフレディが揉め事を我慢できなくなったことが理由だった。擦り寄る人といれば衝突は起きない。けどぶつかり合いこそが絆そのものだとフレディは分かって、無理をして調整してライブ・エイドに出る。力強く美しいパフォーマンス。感動。頭がぐらぐらしていてどう書いたらいいのか分からない。よすぎ。

・立て続けに映像作品を観て、あ〜ええね〜になる。映像作品、実はあんまり得意じゃない。人間の感情の機微とかが分かんないから……。

・だからなのか、繊細なものよりはパワフルなものが好きだ。パワフルさのパンチは分かる。パンチされた。気持ちいい〜。


・犬王の話に戻る。犬王の記事を書きたいとは思っていた。難しかったのは、犬王は「聞いたこともない未知のことをやろう」という意図でパフォーマンスをしていたわけではないという点だった。

・物語のもととなるのは平家の亡霊たちの語ったことだ。音楽や演出は二人が手掛けていたのだろうが、いわゆる「原作」を書いているわけではない。これについてをどう書こうかと悩んでいたのだった。

・ボヘミアン・ラプソディを観て、「犬王と友有にとって、パフォーマンスは絆だった」と謎が解けた。

・犬王と友有がつながる絆で、観客とつながる絆で、死者とつながる絆だった。参加するうちにみんながひとつになって高揚し、そうやってやっと「誰も観たことがないもの」へとみんなで至る。

・だから、オリジナルである必要はない。というかオリジナルである意味がない。みんなが共有しているからみんなで盛り上がることができる。

・すげ〜。

・ライブ行きたいな〜。

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