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どんな社交性を持ってる?

中高生が夏休みに入る少し前、パンを買いに行ったら目の前で女子高生2人がスクールバッグから何かを取り出そうとしていた。
多分お財布。みつからなくて大笑い。
私が後ろに居る事に気付いた2人は「私たちおねえさんの邪魔になってる!ごめんなさい!」と言って端っこに。
その後も探し物が見つからなくて彼女たちは笑っていた。つられて私も笑いそうに。
今思えば笑い上戸なところが友人を作るのに役立っていたなとその時に思った。

思春期からその終わりにかけてスクールバッグの彼女たちのような仲の良い友人が私にも居たし、友人というにはお互いの心を深く知らないけれど知人以上友人未満の十分に仲の良い子も多かった。
同じ学校なら自然と合う子と仲良くなれたし、他校の子から駅で「仲良くなりたくて」と声をかけられ友人になった事もある。
プリクラ全盛期なのもあってみんなプリ帳を作っていたからそれ経由で友人の友人と仲良くなる事もあった。
あとは彼氏に顔見知りが増えればその彼女とも知り合って仲良くなったり。
話しかけられもするし話しかけもする。そうやって信頼関係を築いていく。そんな対等でフラットな関係の中で私は青春時代を過ごした。

思い返してみても友人たちはみんな優しかった。
母や姉のような母性的な友情をくれた事も数えきれないほどある。
友人だから当たり前と言われたらそうだけど、会話していても嫌な事や傷つく事を言われなかった。
なぜか、それは和を乱す者が自然と排除されていた事を意味する。
嫌いな人への態度、仲間以外の人間からの不快な言葉への対応、そして和を乱す「誰か」の排除の仕方。
傷付けず、かと言って我慢せず。友人たちはコミュニケーション能力が抜群に優れていた。
鳥が魚のように水中で泳ぐ必要がなく空を他の鳥たちと飛ぶように、私も自分に合う環境の中で豊かな友情を人並みに持ち影響を受けそして影響を与えコミュニケーション能力を得ていったといえる。

私は昔からわりと色々な人とそつなく会話できる。
正確に言えば過去形かな。今は社交性がちょっと不安定。
アルマジロが硬い甲羅で自分を守るように心の中の誰からも侵入されない場所に“社交性”が休養中といったところか。

友情の話の延長でひとつ共感した話をしたい。
女性誌のYouTubeを観ていたら友人が出来ないという20代女性の悩みに芸能人が本音で答えていた。
「自分から友人つくるためにどこどこに行かない?とか誘ったの?行動したの?昔を思い出してみて。一軍の男女や可愛い子やイケメンもちゃんと自分から行動してたでしょ。そういう人たちでも受け身の人は居ないの。だからカーストトップに登りつめるんだよ。登りつめなくてもいいけど。それと心を開かないと仲良い人なんて出来ないよ。友人を作りたいならそうやって自分から行動して自分から心を開いてください」

親切すぎると思った。
当たり障りない耳障りのいい言葉「あなたは悪くないよ」「そのうち出来るから大丈夫」「周りがおかしい」そんな適当な事を言って相手の自尊心を満たして好感度を上げる事も出来たのにそれをしなかった。
誠実さが感じられた。

私の所属していた集団や現在の数少ない友人たちも、もちろん私もちゃんと自分からコミュニケーションを取る。
なぜなら受け身というのは人に負担をかけるのを知っているから。
愚痴ばかり悪口ばかり噂ばかりもない。自虐ばかりもないから誰かがケア要員になる事もない。
私にとって友情ってプラスの気持ちで繋がっている事。
「あなたと居て楽しいし嬉しいよ。応援してるし味方だよ。尊敬だってしてる。スペックとか容姿とか肩書きとかそういう打算で仲良くしてるんじゃない。良い時もあれば悪い時もあるけどお互い協力し合ってサバイブしていこうね」それが全てだ。

いろんな話をできる関係はオープンマインドで健全だけど人間は誰かの愚痴や悪口を処理するためのゴミ処理人じゃない。
自分の心から生まれたゴミをどうやって適切に処理していくか、それも人生の課題のひとつだと自分自身に対しても思う。
世の中なんでもタダはないしタダより高いものもない。
タダで済ませたばかりに相手からのプラスの気持ちを失って相手そのものも失う事もある。ここで言うタダは別に金銭の事じゃない。

私はこれから先どんな友人が出来てどんな集団に所属するんだろう?そう考えているだけで楽しくなる。
ここ半年で徐々に心が元気になってきたのを感じる。本来の性格にだいぶ戻ってきた。
元の自分に戻ったら私にゴミ処理の役割を押し付ける人は「あの人は変わった」と私の元から去っていくだろうし、友人たちは「よかったね」と祝福してくれる。
それが今からもう分かる。
そして私に合う人と今よりたくさん出会える。
元気だった頃は私が私で居るだけで良い人たちとばかり出会えて様々な人間関係がうまくいっていた。
自然と上潮に乗れて豊かさの中で幸せだった。
それが私の求める人生だし、私に値する人生だ。

よくしていきたいし、よくなっていく。
そう信じられる自分のまま休養中の社交性はアップデート中。