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最近観た映画・ドラマについて考える

私の中で趣味というかもう生きる目的みたいになりつつある映画・ドラマだが、最近沢山映画やドラマを鑑賞していく中でトレンドというか共通点があるなーと思い、どこかにまとめたくここに書いている。ちなみに全て欧米の作品で、ネタバレになるかもしれないので以下の目次から作品名をチェックするのを忘れずに。


悪役でもないクズキャラ

これは色んな作品を観ていく中でよく感じた。悪役と言えるほどの根性もなく、良い人と言えるほどの奴でもない。もちろん作品毎にグラデーションがあり、悪役に近いキャラもいればそこまで悪くない奴なんかもいる。善と悪という単純な二元論を描く作品が減った分、悪役のキャラもかなり複雑になってきたなと感じる。

SHOGUNの樫木薮重

真田広之プロデュースの「SHOGUN」はアメリカでも社会現象になるほど大人気だったが、中でも浅野忠信が演じる樫木薮重はどうしようもないクズでありながら沢山のファンを獲得した。自分のことだけ考えながらも死を決意するときには自ら切腹を試みるなど、武士らしさもありつつ簡単に裏切る腹黒さもある。しかし彼の思考はかなり単純であるため、真田広之が演じる吉井虎長にすぐ見破られてしまう。また裏切っておきながら罪の意識に苛まされる姿もあったりと、彼の芯のなさが垣間見れる部分もあった。そんなある意味で人間らしい彼の不安定さとユーモアが共感を呼びファンが増えたのかなとも思える。

樫木薮重(浅野忠信)

MAD MAX:FURIOSAのディメンタス将軍

マッドマックス怒りのデスロードの前日譚である「FURIOSA」では、ディメンタス将軍率いるバイカー軍団がまだ子供であったフュリオサを捕え、彼女の母親を殺してしまう。それからフュリオサは彼に復讐をするために生き続けることとなるのだが、このディメンタスが悪役ではなくクズキャラだと考えられる要因はリーダーシップのなさである。バイカー集団はマッドマックス怒りのデスロードでも出てくるイモータン・ジョー率いるシタデルを支配しようとするも呆気なくウォー・ボーイズに撃退される。なんとかガスタウンの占領に成功するも統治能力の無さで、カオスと化す。またフュリオサの母親を殺しておきながらフュリオサの面倒を見ようとする試みもある。(結局イモータン・ジョーに取られてしまうのだが)個人的にはディメンタスの不完全な人間らしさを出すことで、イモータン・ジョーの悪役度が増すように作られているのかもなと思った。

ディメンタス将軍(クリス・ヘムズワース)

トッド・フィリップス監督のJOKER

これは2019年になるが、バットマンシリーズに登場するスーパーヴィランであるジョーカーをベースとした映画だが、初めて見た時は衝撃的だった。なぜなら私の中でジョーカーとは悪役中の悪役だったので、心優しいアーサーとして、母親の面倒を見ながらコメディアンになる夢を見ていたなんて信じられなかったからだ。この映画を観た後に根っからの悪なんてものは存在せず、周りの環境や不運で誰でも悪になりうるのであり、ゴッサムシティ自体が悪の根源なのだと言われているような気持ちになった。

アーサーことジョーカー(ホアキン・フェニックス)

ちなみに、この続編である「Joker: Folie à Deux」は今年10月公開予定だが、前作のアーサー要素はまだ彼の中に残っているのか気になるところである。また、レディーガガが演じるハーレイ・クインも出てくるのでかなり楽しみだ。

逆境も乗り越える強い女性キャラ

女性キャラに関してはこれまでも強いキャラは多かったものの、強さだけでなく彼女たちを取り囲む不当な環境を描くことで女性を神聖化するという見せ方を避け、同性にエンパワメントを与える存在にしているのかなと思った。

哀れなるものたちのベラ

これは原作(和書・洋書両方)まで読むほどに好きな作品だ。自殺した主人公ベラが風変わりな医者ゴッドによって、胎児の脳に移植されることで生き返るという奇想天外な話である。そんな純粋な彼女が世界を旅するにつれて女性としての生き辛さや世の中の闇について知っていく。また主人公のベラは性に対して割とオープンでそういった見せ方も女性のステレオタイプに対するアンチテーゼのように感じ取れた。またゴッドを含めた周りの男性キャラが全員ベラを愛し、女神のように扱う。ベラはそれをとても冷静に対処する一方で、男たちは感情的で、彼女をコントロールしたがる姿はまさに滑稽だが、これも女性は感情的であるというステレオタイプを批判しているのかもしれない。

ベラ(エマ・ストーン)

チャレンジャーズのタシ・ダンカン

トップテニスプレイヤーとして活躍していたゼンデイヤ演じるタシ・ダンカンはテニス界の期待の星とされていた存在だったが、突然の怪我により選手生命を断たれてしまう。彼女に惹かれた男子テニスプレイヤーのパトリック・ツヴァイクとアート・ドナルドソンの三角関係を通じてテニス界の成功へと返り咲くために奮闘する。タシ・ダンカンの挫折を経験しながらも無情なほどに理性的で、自分の意志と確固たる自信で目標に向かって突き進むところはまさに彼女の強さを表していると言える。

タシ・ダンカン(ゼンデイヤ)

MAD MAX:FURIOSAのフュリオサ

とんでもない不運と逆境から乗り越えたという点ではMAD MAX:FURIOSAのフュリオサを忘れてはいけない。彼女は幼少期に捕えられ、目の前で母親を殺されてしまう。その後もイモータン・ジョーに引き取られてからは男装することで自分の身を守りながらディメンタス将軍への復讐だけを目的として生きていく。アニャ・テイラー=ジョイが演じるフュリオサの台詞では多くを語らずとも彼女の眼差しや表情から彼女の辿ってきた壮絶な経験と怒りを表しているのがよく分かる。

フュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)

独特な描き方で訴えかける歴史映画

オッペンハイマー

今年のアカデミー賞作品賞にも選ばれた「オッペンハイマー」はクリストファー・ノーラン監督が制作しているだけあって描き方はかなり独特であった。映画は「1.核分裂」、「2.核融合」に分かれており、「核分裂」ではオッペンハイマー視点で語られ(カラー映像)、彼はストローズの陰謀により保安聴聞会に掛けられており、その聴聞会で過去を追想していく。「核融合」はストローズ視点で語られており(モノクロ映像)、彼が商務長官に就任するための公聴会に参加している場面での質問からオッペンハイマーとの過去を追想していく。それぞれの視点から過去を追想していくため不思議なことにカラーだとちょっとストローズが嫌なやつに見えてしまうし、モノクロだとオッペンハイマーは冷たく見えてしまう。人間の脳はその人の考え方や経験から同じ現実でも違う見方をしてしまうという性質があるらしいが、それがすごく丁寧に表現されているように感じた。それぞれの視点から見ることで彼らの決断は正しかったのか、自分だったらどうするのか、人間の矛盾と複雑性に向けながらジレンマに苦しめてくる。

オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)

関心領域

アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した「関心領域」も独特な見せ方であった。第二次世界大戦時中の裕福な家庭の生活を淡々と映し出しており、一見平凡そうに見えるがこれはアウシュビッツ収容所の隣であり、その所長の家族の生活である。その生活からユダヤ人が何も知らずに連れてこられる電車の音や泣き叫ぶ声が聞こえたり、もくもくと煙を出して稼働する死体焼却炉が映っている。所長たちはユダヤ人を効率的に処分する話をまるでビジネスの内容かのように冷静に話しているのも衝撃的だった。無関心であることの恐ろしさ、他者への思いやりの無さからくる最悪な結果とも言えるのではないだろうか。そしてこれは現在起こってる戦争についても考えさせられるようになっている。また映画の途中で現れる白黒反転のモノクロシーンでは少女が収容所の人たちを助けている部分が描かれている。これは無関心を貫く人が多い状況でも自分ができることを全うしている人たちもいたということを教えてくれる。

収容所の人たちのためにりんごを土の中に埋めている少女

最後に

もっと書きたい映画やドラマはあったが長くなりそうなのでここら辺に留めておく。もっと流れるような美しい文章でまとめてみたいものの大学のレポートちっくになってしまった。 また、改めて映画やドラマはただのエンターテインメントにとどまらず、観る者に対して視野を広げさせてくれる力を持っているなーと。今後も面白発見があればまとめてみようと思う。

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