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顕正会とすばらしき世界

人に話すような事が何も起こらない。
昼に読書をして夕方に筋トレをして夜に映画を見る金無し無職の最終形態のような生活をしていると希死念慮しか湧かなくなる。
と川辺でひとり草相撲をしながら電話で友人に話したその直後に全ては起こった。
いつも腰かけるベンチで同じように読書をしていると三人が此方に向かって来た。
恐らく主婦二人と老人一人。それは顕正会の信者だった。
いつか誰にでも訪れる普遍的な経験として、人生のイベントとして最適だろう。
僕のやった人生ゲームは結婚が強制だったが未婚率の上昇が叫ばれる昨今ではこれを強制にすべき程にだ。

宗教の信者は悪い人では無いし、僕は決断力が無く常に逡巡しかしないし、その場に置いてある自転車に住所が書いてあったのを思い出し、邪険にせず話を聞く事を決めた。
通行人がこっちを奇異の目で見てきて笑いをこらえる。
その風景を俯瞰させてドローンか何かで撮りたいほどだった。

日蓮大聖人がどう偉いとか元寇の時にどうだったとか聞かされたが、去年モンゴル帝国の本を読んだりゴーストオブツシマをやった事もあり僕はどちらかと言えばモンゴル信者だったのでそれなりに突っ込みたい事があった。
それに創価学会も日蓮だった気がしたので昔から気になってた創価と顕正会の関係について聞いてみたくなったが、結局の所住所が握られてるかもしれないという恐怖に全身が支配された。

話は全て終わり、会館に来ないか?と問い掛けられた。
僕はお茶を濁そうと「考えてみて気に入ったら行ってみます」と蚊の鳴くような声を出すと、向こうは流石百戦錬磨メタってきていて「紹介がないと入らないから時間良ければ一緒に行こう」
流石に相手の陣地に行けばその場の雰囲気に気圧されて一線を超えるかもしれない。
僕は「ゆきゆきて、神軍」の上官と遺族の論争シーン並に粘った。
体感30分。
映画を見るからという約束で何とか帰る事が出来た。

と言うわけで評判の良いすばらしき世界という映画を見て来た。
役所広司が出る事以外まっさらの状態で行ったのだが、冒頭の刑務所で預かってた時計が錆びて使えなくなったシーンでもう大体理解出来て悲しかった。
そっからはマーラの誘惑のように待ち受けるシャバでの試練。
親身になってくれる新しい友人。
作中で役所広司が1番イキイキする2人のチンピラをのすシーン。
昔のヤクザ仲間がガラケーを使っていたり自立出来なかったりと見所が目白押しだった。

どんな末路を辿るか分かっていても応援出来る名作だと思った。
応援上映したらカオスになりそう。

こんな感じ

ラストだけなんか腑に落ちなかったわ。
ありふれた表現かもしれないが、嵐の中を映画エドウットよろしく自転車で走っていく(死ぬかもしれないし乗り切って死なないかもしれない)みたいなラストで良かったかもしれない。
どういう意味があるのかちょっと調べてみようと思った。

結局の所人間には繋がりが必要で今の時代それは希薄になって来ている。
居場所や存在意義を求めてのオンラインサロンやネットでの右傾化が問題視される中において役所広司が取るべきだった行動は、信仰すれば無償の隣人愛を受け取れる宗教への入会だったのかもしれない。


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