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山のカオ

 学校までの道中、バスに揺られる30分。窓から眺める景色が好きだった。背の高い建物はなく、季節の色も、その日の天気のぐあいも、肉眼で受けとることができた。中高6年間、ずっと同じ道路を走っていたはずだが、ふしぎと飽きを感じることはなかった。

 ある日、雲間から差した光が、そびえる山を照らしていた。天から注がれる白いそれは、水の流れのように見え、山はこうして水分補給してるのかと思った。また別の日。同じような景色だったが、今度は、スポットライトを浴びているように見え、この世界の主人公は自分なんだと、山が主張していると思った。また別の日。今度は神さまの通り道に見え、神さまが天と地を行き来するときの発着点として、山はあるのだと思った。

 人はそれぞれに固有の顔をもっている。日常的に、取って代わられることはない。けれど、いつも違ってみえる。同じ人なのに、まったく違う印象で、目の前に現れる。それは表情があるからだと思う。笑うし泣くし困ることができる。眉毛や目や頬や口。あまたのパーツがふくざつに絡み合って、一瞬のこころを描きだす。そして、その顔を見るのもまた、顔だと気づく。見る側の「私」にも、見られる顔がついている。そう思うと、「私」の顔はいったいどんなふうに動いているのか、どんな表情で他者の前に現れているのか、ちょっと気になる。

 山からみた「私」はそうとうマヌケに映っていただろうなと思うと、なんか愉快になりました。

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