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THE ROAD FOR SHOGO~浜田省吾への道 Vol.2町支寛二その2
浜田省吾の魅力を、浜田省吾を取り巻くさまざまな人たちと浜田さんとのエピソードトークから紐解く特別企画。7月のインタビューゲストは、浜田省吾の“盟友”、浜田バンドのギタリストでミュージシャンの町支寛二さん。今日は、初めての海外レコーディングの話。
インタビュー:屋形英貴(広島FM)
「目の前でホールドアップしてて、パトカーが3台ぐらい固まってとまって、、、」
町支
今日はですね、初めて、ロスでレコーディングに行った時の話をしようかな。何年になるんだろう。1980年 。初めての海外レコーディングっていうことで、僕なんかはもう、要するに憧れてた ミュージシャンとかが来るわけじゃないですか。もうそれを見るのが楽しみで楽しみで、もうもうゾクゾクしてたんですけどね。
浜田はまだその時、詞が全部完成してなくて、ホテルにこもって、それを書き上げてたりしてたんですよ。
ー当時は、今のようなペースでアルバムをリリースするんじゃなくて、下手すると年に複数枚出すような時代
町支
そうそう、そうですね。大変だったと思うんですけども、でも、そのスタジオってやっぱりいろんな人が来るから、なんか、 浜田もやっぱり来たそうなんですよ。で、なんかこうだったよ、ああだったよっていう話をしたんですけれども、でも、やっぱりロスって、 まだその頃って、やっぱり怖いんですね。なんかやっぱり銃社会だし。
で、僕らも結構ビビってたんですけど、スタジオの前で、その、急にね、パトカーが、1台の車止めて、 ハンズアップさせたりとか、そういうのがあって、スタジオの中で伏せたりとか。アメリカって怖いんだなっていうのがありましたね
ースタジオで伏せなきゃいけないようなことがあったんですか?
町支
目の前でね、あのホールドアップしてる状況があったんですよ。パトカーが3台ぐらい固まって、その周りなんかの車を止めて、
ーじゃあ流れ球とか来るかもしれない。
町支
そうそう、ものすごい緊張しました。だから。
ー浜田さん、海外行かれるの多いですよね。
町支
そうですね。最近、ファンクラブの写真とかでも、海外で撮ってるの多いですよね。
ー町支さんは、そういうところ、一緒に行ったりはしないんですか。
町支
僕は行かないですよ。その時のロスのレコーディングっていうのは、要するに、 ま、コーラスとか、僕、自分1人でやるんですけれども、コーラスのレコーディングも、海外でやるっていうことなんで、僕も一緒に行ってただけで。
ー町支さんはそんなに、海外でどうのこうのっていう感じではないんですね。
町支
そうですね。でも、自分のソロアルバムはずっと オーストラリアのパースっていうところに行ってたんですけども、スタジオの雰囲気もいいし、なんか乾いてるから音もすごくいいし。その頃 で会ったミキサーがすごくやっぱり優秀で。感覚ですからね。うん。音楽って、それぞれ全然違いますよね。
ー今日はロサンゼルスでの初海外レコーディングのお話をお伺いしたんですが、曲は?
町支
じゃあ、大好きな曲なんですけども、(初めて海外レコーディングした)「Home Bound」の中から、東京っていう曲を聞いてください。
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