【田んぼは宇宙】木を見ずに森を見よう。自然は大きな生命です。

 田んぼは地球と同じだと思う。田んぼは宇宙でもある。何万本もの稲がひしめき合って成長し、刈り取られ、籾殻や稲わらは土に戻り栄養となる。また新たな稲が生まれ、生命のサイクルが連綿と続いていく。
 私たちが「田んぼ」をイメージするとき、稲の一本一本を個別に見ているわけではない。見ているのはあくまでも田んぼだ。稲も土も水もカエルもクモも草も含めて田んぼという大地であり、ひとつの生命体である。同様に「木」をイメージするとき、葉っぱの一枚一枚を個別に見ているわけではない。葉っぱも枝も幹も根も鳥も虫も合わせて木の姿になる。そこで葉っぱや花や果実や鳥や虫が生まれて成長し、お互いを助け合い、朽ちてまた次の世代の栄養となる。
 人間も一人ひとり個別に見るのではなく、動物や植物を含めて全体を大きな生命として見てみたらどうだろう。田んぼや木を見ているとそんなことを思う。葉っぱが枯れて散っても木が生き続け、新たな命が芽生えるように、人が死んでも地球や宇宙は生き続け、新たな命が芽生える。同じ木の枝に育つ葉っぱがみなひとつの命であるように、同じ地球に生まれる人間やあらゆる生き物はみなひとつの生命だ。
 死ぬことは生涯を終えることではなく、季節が変わるように変化すること。落葉と同じだ。そしてその変化は必ず新たな生命の糧となっている。人生を自分一人のものととらえるのと、大いなる自然の一部ととらえるのとでは、考え方や感じ方が大きく変わると私は思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?