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【道具今昔】現代では長く使い込む道具は消えゆくばかり。道具は買った瞬間から消耗品。

 ずっと使い続けてきた道具には深い魅力がある。道具であるからには当然、使い続けるうちに劣化したり壊れたりするのだが、部品を替えたり、研いだり、磨いたり、油を差したりすれば道具は長く使える。何十年経っても、古い道具の果たす機能は増えも減りもしない。包丁は切る、かんなは削る、万年筆は書くという単機能を愚直に果たすのみである。しかし使い込むほどに手になじみ、使い心地が良くなっていく。何十年も自分のやり方で手入れしてきた道具なのだから当然だ。つまり使い手にとっての価値が時間とともに増すのである。

 では、そんな道具が身の周りにどれだけあるだろうか。熟練の大工や料理人なら使い込んだ道具を自分の分身のように大切にしているだろう。しかしそれは特別な例で、一般的に道具は短い周期で買い替えられていく。

 経済成長が大前提の世界になって以来、企業は常に新たな需要を喚起しなければならなくなった。画期的な道具を発明しては売り込み、より便利な機能を付加した道具を開発しては売り込む。好奇心を刺激された人々は、より便利で、楽で、効率的で、安くて美しい道具を次々と買う。だから家の中にはほとんど使われない道具が積み上がっているはずだ。しかもスマートフォンやパソコン、電気製品といった電子制御の現代製品は手入れも修理も難しい。だから新品のときの価値が最大で、そこからは劣化していく一方。手になじむという感覚もなく短命に終わる。

 しかしこれだけモノが世界に溢れる現在、人々の好奇心や欲望を刺激するだけではモノが売れなくなってきた。そこで登場した新手の手法が「強制的に古い道具を使えなくする」というものだ。たとえばスマートフォンのようにインターネットに繋がるデジタル機器は、古くなると最新のプログラムが動かなくなるから、使用者の意志とは関係なく買い替えるしかないということになる。

 どこまで便利になったらこの流れは止まるのか。環境が限界まで劣化し、資源が枯渇するまで止まることはないのだろうか。

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