分からないことだらけの世界。

多分もう、会うことのない彼のことを考える。
何故あんなにも執着していたのか。何故あんなにも好きだと感じていたのか。何故あんなにも尽くせたのか。
分からないことだらけだ。

分からないと言えば、この世は分からないことで溢れている。
例えば、久しぶりの知り合いが急に投資話を持ち出してきたり。
例えば、おとなしく敷かれたレールの上を歩いていると思っていた高校の同級生が役者の卵になっていたり。
例えば、渋谷の雑踏の中で2年ぶりの人とすれ違い、お互い「なんか見たことある顔だな」と思って振り返ったり。
例えば、大江戸線の車内がやけに小さかったり。これは今。
分からないことだらけだ。

在宅で仕事を片付けながら、『中学聖日記』を観た。
「僕はただ、先生に優しくしたかった。」

好きとは、みたいな話をたまにする。
学校では教えてくれない大事なことを、きっと私たちは確かめ合いながら学んでいく。個人に収斂されるあらゆる事象を、あたかも互いの共通言語のように持ち出しては自分が間違っていないことを確かめ合い、安心感得る。人とは違うという優越感に浸りながら、「仲間」だと思う人々とつるみ、「じゃない方」の人を無意識に排除し、見下す。

好きってなんだよ。
そんな暴言を吐いてもどうしようもなくて、ただ君の傍にいたかっただけなのに、その時間さえも思うようにいかない。
季節は流れ、だんだんと記憶も薄れていく。
いつのまにかSNSを漁る指は止まり、頭の中から彼の占める範囲が萎んでいく。最終的には凝縮された思い出の塊だけが残って、頭の隅の掃き溜めに追いやられる。そして、いつかふとした瞬間に空気が入ってぶわっと蘇ってくる。何故かとてつもない切なさに襲われて涙が伝う。

優しくしたくてついた嘘。息を吐くようについた嘘。ただの対応。
「好きだよ」
その言葉になんの意味があったのだろう。
あの時は嘘だなんて思っていなかった。
本当に、気持ちがあると思っていた。
夜になると頼りたくなって、どうしようもなく惨めで弱い自分がひょっこり顔を出して、私を闇へと引きずりこむ。憐れで可哀想。自分でもそう思う。

25になって増えた友人の婚約報告、デキ婚、出産、結婚式。波に乗れない私は何なのだろう。別に子どもが特別ほしい訳じゃない。だけど結婚はしたい。けれど自分の経済は自分で回したい。自立していたい。矛盾だらけの世界で、訳の分からない世界でどうすればいいのだろう。どうするのが正解なのだろう。

分からない私は今日も深く、深く息をして、鼓動の速さを抑え込むようになんでもないふりをする。

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