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日曜の夜

夏のじめじめした空気が肌にまとわりつく不快感とともに、私の機嫌も不穏な空気をまとい、一向に軽やかになる気配はない。話せば話すほど距離が遠のくのを感じながら、また引きつった笑顔で相槌を打つ。

価値観の違い、視座の違い、好みの違い、色々あるけれど、そのどれもが今から埋めることは難しくて、25年間、30年間それぞれが歩んで築いてきた己の土台は、しっかりと踏み固められている。

幸せ、と声に出すと、防音室みたいに見えない壁に音が吸い込まれていく。発した瞬間から届かないままで、存在すらせずに消えてしまいそう。聞こえない隣人は、当たり前のごとく何の反応も示さず、宙を眺めてグラスを口に運ぶ。

ああ、なんて空虚。

分からない、と思う時ほど私の拙い勘は研ぎ澄まされ、音にならない声を聞き、見えない考えを探り当てる。そして、それは現実となる。
もっと自由に、飛ぶような軽やかさで生きてみたいと思うほど、無意識のがんじがらめで動けなくなる。その場に立ちすくむ。強がりすらまともに演じきれず、惨めさと可哀想な感覚だけが、存在の証拠としてその場に置き去りにされた。

慌てて手のひらサイズの画面にぎゅうぎゅうに押し込められた音楽に逃げようとしても、取り出したイヤホンがケースから転げ落ちて、そこでもまた世界から突き放された気分になる。

なんてことないわけがないことが多すぎて、及第点を取ることすら必死で、明日からまた繰り返される社会という現実に放り込まれる恐怖に無意味な抵抗を続けながら、私は日曜の夜を終える。

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