見出し画像

もともと父親おらんのに母親にも縁切られた



今ならメチャクチャ読み応えのある文章が書ける気がしたので筆を執ってみた。これから書く文章はひどく歪んだ恋煩いにも似た被害妄想である。

私は母のことを好きだと思っていた。親子仲は良いと思っていたし、ひとり暮らしを始めてからは、二人いる弟のどちらとも連絡を取らなかったので、いつしか私にとっての家族は母だけだとぼんやり感じるようになっていた。母の老後の面倒も自分が見ると決めていたし、そのために運転免許を取得するつもりでいた。

それなのに、絶縁する羽目になってしまった。それも正月早々だ。理由は、互いに侮蔑し合い、傷つけ合っていることが判明したからだ。

私目線での話をしよう。
私はずっと、母から自身を否定されているような感覚を抱えて生きていた。母にはなんとなく「自分に出来ないことが、この娘に出来るはずがない」という認識があったのではないかと感じている。簡単にいえば、能力をかなり低く見積もられている・見下されていると感じることが多かった。弟たちに対する言動からはあまりそういった態度は感じなかった。
こんな言葉を聞いたことがある。母親にとって息子は彼氏で、娘はライバルであると。


母は私が小学校二年生の頃に離婚した。自分で産んだ子だからと私と弟を引き取った。離婚の理由は聞いたことがないので知らない。
聞く必要性を感じたこともない。父親が居ないことについて、特に不便にも不幸にも思っていなかったからだ(そこには母の血の滲むような努力があったと確信している)。だから父親とは一度も連絡を取ったことがない。

ただ、母の人生には男性の存在が不可欠だったようで、しょっちゅう男を連れ込んでいた。気がつくと別の男性と付き合っていて、二股をかけている様子もこの目で見ているので、今となっては離婚の理由もなんとなく察しはつく。そんなことをしていれば当然、よくわからない男の子供を身籠ることとなり、私には九歳離れた弟が出来た。

母の男への執心ぶりは、思春期に突入すれば汚らわしく感じることが増えた。特に高校生の頃がひどかった。母の連れ込んだ男が作った焼きそばが食卓に上ったことがある。味付けが濃すぎて食べられたものじゃなかったが、母は「男の料理って感じ、素敵」と喜んで食べていて、吐き気がした。それでも弟たちは素直だったから母の連れ込む男によく懐き、遊んでもらっていた。「新しいお父さんになるかもしれない人」などと紹介していたこともあったが、さすがに十六、七歳にもなれば、三人も子どものいる四十路の女と本気で結婚したいと思う甲斐性のある男などそう居ないことくらい理解していた。私だけが男どもを排除しようと反発していたと思う。
母は私の反抗など取るに足らないものと認識していたようで「難しい年頃だから」と軽くあしらい、弟を連れて男と出かけていた。
そして毎度、それこそ取るに足らないきっかけで母の恋は呆気なく終わり、その度に子どもたち三人で慰めた。同時に、恋愛って、男って、マジでクソしょうもない、という価値観が私の中で形成されていったと同時に、母から蔑ろにされている、という自覚もじわじわと育っていった。

高校を卒業して、介護士としてデイサービスで働き始めてから気がついた。私は男性の目を見ることが出来なかった。特に、エネルギッシュで、顔立ちがはっきりしている、いかにもモテそうな男性が苦手だった(本当にすまんが、モテなさそうな男性や利用者のお爺ちゃんにはこの苦手意識は働かなかった。これはふつうに私がインキャなせいでもある)。無意識のうちに男という属性に対してかなり強い防衛反応を示すようになっており、女性と恋愛するようになった。女性に抱きしめられるほうが安心できたし、女性に抱きしめられたいという欲求も当事は強かった。今となっては母からの愛情の渇望もここに含まれていたとわかる。

(相手の女性に失礼な話ではあるが、妊娠という現象に対して本能的に恐怖していたのもある。自分の中に自分のではない命が蠢いている様子を想像するとめまいがした。一時期は【妊娠】の文字列だけで動悸がするほど怖かった。女性が相手ならば妊娠しないから。今も、積極的に子どもを作りたいとは思わない)

母にはどこか私と張り合おうとする癖があった。というか、私の持つものの価値をいちいち下げようとするところがあった。例えば、転職先の施設を見せたとき「ここってすごく給料が安い上に激務なんでしょ? 私なら無理だわ」とまず否定から入るところが、私はイヤだった。
それから、機嫌を損ねると私がそのとき一番大切にしているものや尊厳を傷つけた。
介護福祉士の資格勉強中であれば「アンタみたいなのが介護士なんかになれるわけない」、漫画やアニメにハマっていた時期には「アニメオタクは社会でやっていけない」。恥ずかしながら自傷行為をしていた時期があるのだが、そのとき言われた「つぎ腕を切るときはもっと深く切って死になさい」は本当に忘れられない。

何の悪気もなく「あなたを育てるの失敗したと思ってるんだよね」と言われたことも、母とコミュニケーションを取る上でものすごく足を引っ張ってきた。当の母はこの出来事を忘れているが。


実家を出てひとり暮らしをしてからは、だいぶ良い距離感で母と接することが出来ていたと思う。接触回数が減った分、否定されることも減り、母に対する反発よりも育ててくれた恩や感謝の気持ちが素直に顔を表すようになった。ろくに親孝行は出来なかったが、たまに連絡を取っていたし、一般的な親子関係からはみ出す要素はなかったように思う。その頃には周りの環境がかなり変化したことも相俟ってか以前より男性に対する恐怖も薄れ、十年くらいぶりに「彼氏」ができた。これまで自分に全く自信がなかった私だが、温かい人々に囲まれて二年近く過ごしたことで、あまり無理に自分を変えなくてもよいのだという自尊心も芽生えた。

しかしこれが悪く作用してしまった。
今年の元旦に帰省したときの母の言動がきっかけだった。私の彼氏のことを「おじさん」
と言ったり、彼氏の職業をなんとなくバカにしているようなニュアンスを含む発言が聞かれた(実際、この職業を「周囲に馴染めない人が仕方なくやる仕事」と揶揄していたこともある)。一度しか会わせたことがなかったのに、もうそこまで下に見ているのか、それとも普段から見下している私の彼氏だから何を言っても良いと思ってるのか。どちらにせよ悔しかった。

それも、はじめは母本人に言うつもりはなかったのだけど、母の態度に関する愚痴を友達にLINEで送ろうとしたら、なんと母親本人に送ってしまった!w  私はこういうときにアホを発揮する人間なのだ。本当に、今後ひどくなるようなら一言挟もうと思っていた程度だったのが、これをきっかけにメチャクチャ長い喧嘩に発展してしまった。
いい機会だから、「見下されているように感じること」「いちいち張り合おうとしてくるところが不愉快なこと」をはっきりと伝えた。私にも自尊心があり、傷付けられたらイヤなものがあることをわかってほしかったのと、半端に気持ちを見せてしまった以上、母と良好な親子関係でいるには、結論が出るまで徹底的にぶつかり合う必要があると思ったからだ。

母は「今後もあなたを傷つける可能性があるから会わない、結婚式にも出ない、実家にある荷物は全てそちらに送る」と言い出した。加えて「自分も娘に親だと思われていない、バカにされているという感覚があった」と言い添えた。

ああなるほどと腑に落ちた。結局私と母は似たもの同士だったのだ。相手が自分を尊重していないと互いに感じていたから、互いに自分のことを認めさせようと反発し合っていたというのが真実のようだ。

最後まで真剣に話し合いたかったが、不毛な言い合いが続き、最終的に「自分たちは人間として恐ろしく相性が悪い」となり、絶縁という結論に至った。

最後に「自分のしたことが周り(多分彼氏や彼氏の親族のこと?)に言いふらされているのに、どの面下げて両家の顔合わせや式に行ったらよいかわからない」とも言っていた(ちなみにひとつも言いふらしていない)。
この人にとっては私との関係が壊れることよりも自分の名誉を傷つけられた可能性の方が重大な問題なのだと知って諦めがついた。どちらにせよふたりとも、自分目線でしか物事を考えられない愚かな人間だったのが悪かった。
抱えきれなくてオンラインのカウンセラーに相談したところ「子どもが親を選べないように、親も子どもを選べない」と言われ、やっと納得がいった。結局のところ、私は母にとって、失敗作に変わりなかったのだ。母の件を教訓に、今私の周りに居てくれている人たちを大事にしようとより強く思えた。


まあ今時、実家と折り合いの悪い人なんて珍しくないし、母にはかわいい息子が二人もいるから大丈夫でしょう。
しばらくは引きずるような気がするけど、長い時間をかけて父が他人になったように、母のこともゆっくり消化していけると思います。こんなクソキショひとりごとを最後まで聞いてくれてありがとね。

猫でも見るか。

最近ねこあつめがアツい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?