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徒然なるままにnoteを始めてみた

twitterやnoteを楽しむ "教養層" の皆さんの多くはタイトルを見て、真っ先に「徒然草」を、そしてその序段の「徒然なるままに云々」という、あまりに有名な一説を思い浮かべたのではないでしょうか。

確かに、いま私はノートパソコンの画面と向かい合って「徒然なるままに」キーボードの上に指を走らせていますが、タイトルで私が意識した段はこの段ではありません。

徒然草19段に

「おぼしきこと言はぬは腹ふくるるわざなれば、筆に任せつつ(後略)」

という文があります。簡単に言ってしまえば、思ったことを口に出さないでいるのは腹が膨れるようで気持ちの悪いものだということです。

私はこれまでtwitterを、思考の垂れ流しのツールとして使ってきましたが、兼好法師が何百年も前に書いたこの文を読んだときに、甚く共感するとともに、彼が現代日本にいたらどんな有名ツイッタラーになっていただろうかとも思いを馳せました。実はこの一文は大鏡のオマージュともいわれているもので、日本人はDNAレベルでツイ廃の素質があるのではないかとさえ考えてしまいます。さすがはtwitterアクティブユーザー数世界一の国です。

そんなこんなで、とりとめもない思考の屑をタイムライン上に垂れ流してきた私ですが、普段ツイートするようなくだらないことを少しだけ頭の中で整理して、エッセイチックなものに昇華することはできないだろうかと考えたのです。かねがねタイムライン上でnoteを見かけたり、友達がnoteを始めているのを知ったりして、私もとりあえずこの流行に乗りつつ、先述の試みを現実化させようと考えたわけです。

これからは日常で考えたことや感じたことをnoteを使って垂れ流していこうと思います。いったん文字に書き起こすして保存することで、頭の中からはその考えや感想を押し出してしまいたいのです(兼好法師風に言えば、「腹を膨らませたくない」)。これはちょうど、iphoneの容量を軽くするためにパソコンにカメラロールのバックアップを取った後にiphoneからは写真を削除してしまうのと似ているかもしれません。以上が私がnoteを始めた積極的理由です。

また消極的な理由としては、気軽に文章を書ける場が欲しかったということです。大学で文章を書く機会といえばもっぱらレポートですが、そこでは、論拠を示しながら、論理的に、また当然ですが、アカデミックなものを書かなければなりません。このような制約から自由な、アウトプットの場が欲しかったというのが一つの理由になります。


とりとめもない考えを垂れ流した駄文でしたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。




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