多くの場合不変であるゆえの、モノの煩わしさについて

最近、いろんなモノを処分しています。
購入した時は自分にとって必要だったけれども、
現在の自分にとっては完全に必要ではなくなったり、所有の優先度が低くなってしまったモノや、
大きくてスペースを取ってしまうモノや、重くて扱いにくいモノetc..
人にあげたり、メルカリで売ったり、粗大ゴミに出したりしています。

メルカリは本当に売れるのが早く、「これ売れへんかな〜」と思ったものでも、出してみると意外とすぐに売れたりするので、
自分にとっては必要ないものでも、別の人が価値を見出して買ってくれることに、面白さを感じます。
モノによっては利益度外視で、捨てるという行為の罪悪感から免れがれたいがために売っているものもあるのですが、
そういう場合かなり安い価格設定にしているので、自分にはほとんど利益が入らず、購入者の方はほとんどメルカリと運送会社さまにお金を払っていることになるんだなぁと思うと、不思議な感じもします。

また自分が捨てようと思っていたものを、家族がもったいないといって結局捨てないというケースもあると思うのですが(自分もそういうことがあります)ある程度の期間そのモノとつきあってきた当人としては価値がないけれども、新しくそのモノと接した他人にとっては、未来のことがまだ予測できないので、何か使い道があるのではないかという期待感を感じるということにも面白みを感じます。

本題に戻りますが、モノというのは多くの場合不変であると思います。
極端な例えで言うと、購入した時はピンクがよかったけれども、今はオレンジの気分なので、もういらない、という場合があるとします。
モノはピンクからオレンジになることはできません(色を変更できる一部の商品を除いて)。

そうなるとモノを購入した場合、これからそのモノに自分が合わせないといけなくなるので、
できるだけモノを所有しないということは、ある種のストレスから解放されるないかと思います。

モノに対していくらでも可変だなと思うのは、人間関係です。


とりあえず家具はなるべく買わないようにして、自分で木材などを購入し、DIYでその時々に必要なサイズで作り、
引っ越した際サイズが合わなくなった場合は、また解体して適切なサイズに作り変えたりする生活が良いのかなと思っています。

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大阪在住のWEBフロントエンジニア/デザイナー。 最近映像を作っています。
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