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平沢進の音楽

熱でうなされた時に見る幻覚のような、あるいは、超次元的な何かを直感的に感じた時の恍惚や畏怖といった感覚…
私のような凡人にとって、彼の音楽を説明するとしたら、今挙げたような表現方法が限界である。
彼の音楽について述べようということ自体が、そもそも難しく、今世の中にある言葉が陳腐に感じてしまうほど、彼の音楽は難解で美しいのである。

テレビはもちろん、ラジオや書籍などにもほとんど姿を表すことの無い平沢進というアーティストを、音楽ファンや業界関係者を除いて知っている人はどれくらいいるのだろう。
書店のCDコーナーではまずお目にかかることはなく、タワレコなどの専門店でも普段から並んでいるとは限らない。
(たまたま在庫売りつくしみたいなタイミングで訪れた際に、初期の頃から最近までの平沢進のCDが大放出されていて、嬉しさで狂いそうになったのは最近の話である)

ジャンルとしては、テクノになるのだと思う。
ただし、デビュー当時から現在に至るまで、音楽の雰囲気はだいぶ変わっているし、時期によってテイストが全く違う曲を作っているので、ベースはテクノであるにしても細かく分類すれば曲ごとにジャンルが分かれてくる。全て近未来的な電子音で作られた曲もあれば、ストリングスやアコギを多用したクラシカルな曲まで幅広い。
しかし全てに共通しているのは、伸びのある特徴的な歌声と、難解な歌詞。優しく静かな力強い声で、木遣りや沖縄民謡や、モンゴルのホーミー、あるいは東南アジアの民族歌謡を思わせる独特の歌い方をする。歌詞については、歌詞カードをいくら読んでも、楽曲を聴き込んでも、なんのことを言っているのか分からない。文脈があるにはあるのだが、理解できそうでできないギリギリのラインなのだ。逆にそこが気持ちが良いし、完全に理解してしまったらおそらくつまらないものになってしまうだろう。

そんな彼の楽曲に対する私の向き合い方として、最も適切な言葉があるとすれば、おそらく「信仰」であろう。平沢進は宗教だ。平沢進という高次元の存在から、難解なサウンドと言葉(=歌詞)が啓示され、我々凡人がなんとかそれを理解しようともがく。
その啓示は実に神々しく、美しく、土臭く、高貴で、カオスで、繊細で、荒々しく、禍々しく、ある時は心を乱し、またある時は優しく包み込んでくれる。限りなく多面性を持つ啓示だが、なぜかストッと心に突き刺さってくるのが不思議だ。
おそらく、どこかで見た、あるいは感じた心象風景のようなものに重なる部分があるのだろう。

万人が共感し、何万回も再生され、メディアでも取り上げられるような音楽から、最も遠い場所にあるのが彼の音楽だと私は思う。しかしそれは、悪いことではなく、むしろ私は、彼の世界は万人が共感できるようなチープなものであってほしくないし、そもそも彼は売れることを目的とした楽曲作りはしていない。
これからも孤高のアーティストとして、知る人ぞ知るアーティストとして、存在していてほしいと願う。

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