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ビックリするくらい「丸ごと」な社会。

外出自粛。次女が遺して行った部屋で仕事をしている。おかげで時間がたっぷり出来た。ちょいと今回の新型コロナウィルスの騒動で感じたことを綴って行こうと思う。ワタシは、科学者でも、経済学者でも、なんでもない。残念ながら何も解決できない。この非常事態の中で、もはや書くしか能がない。すまん。

今から思えば、どんな大きな震災も、やっぱり他人事だった。自分の言葉で語れるのは、福岡西方沖地震くらい。リーマンショックなんて、実体経済の現場を奔走する一介のプランナーにとっては、まったくの余所事だった。9.11のテロは、まるで映画だ。それとて、弱い人間の起こす惨事である。何処で歯止めがかかることを信じていた。

正直に書く。

ワタシは、どんな偉そうなことを書いたり、言ったりしながらも、、、この今日の足元の地続きに、マクロな経済や、世界の営みや、地球があることなんて実感して来なかった。その「うしろめたさ」が白日のもとに晒されたのが、今回の新型コロナウィルスの騒動である。

目に見えないウィルスが、バラバラだったものをひとつにした。バラバラなのに丸ごとなのが、この社会の全体なのだということを実感した。多様性と全体性は、両極にあることではないことを初めて実感できた気がする。この世は、ビックリするくらい「丸ごと」である。

市場原理や貨幣経済でひとまとめにされようとしていた世界に、竿を刺したのが新型コロナウィルスなのかもしれないなぁと考える。

悠長なことは言っていられない。
ワタシとて、2ヶ月先の収入が確保できるか!?どうか!?

でも、しかしだ・・・
見上げたスーパームーンは、
あいもかわらず美しかったなぁと・・・。

月を愛でるということは、
そのすべての複雑な成り立ちや多様な関係の丸ごとを愛することだ。

今日の暮らしの地続きに、月はある。
自粛の暮らしの地続きに、未来はある。

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