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noteを更新しなくても平気。


連続更新を自らに課さなくなってから、随分と間が空いてしまいました。

年末年始に帰省してたりして慌ただしかったこともありましたが、ペースが遅くなったとしてもここまで長く休む予定はありませんでした。まさか2月も終わるまで更新が延びてしまうとは。ウッカリテヘペロ

私が更新を休んで気づいた事は『別に更新しなくても平気』ということでした。これは自分の中でも結構衝撃的な事実だったんですよね。


今までは『このネタを使って今日の更新、明日はちょっと時間を取って…』って感じで、ずっと何かに駆り立てられるように(と言っては大げさですがw)noteを更新してました。


それがいったん更新から離れると、あっという間に重要度が下がってくる不思議。

いや、自分で『……何で?』って思いますもん。
これまで必死で更新してたのって何だったんってw。


なんかそういう色んな事が自分の中ですごい不思議だったんですよね~。


このテキストでは、そんな珍しくもない疑問に対して、あらためて考えてみたいと思います。

●更新しなくても心に穴は開かない、また穴はすぐに埋まる


なんとなく『続けることこそが正義』みたいな部分ってありません?

私も否定はしないし、むしろ今でもそれが一番大事なことだと思ってたりもするのですが、一度『続ける』というスイッチが入ると『何も無くても続けないと…!』という強迫観念にも似たルールが出来てしまって、途端に苦しくなっちゃうんですよね。

『続けることが正義』『更新しなければ意味がない』なんて思いながらも、私は日々の更新というルーティンから脱落してしまったわけですが、そんな私を待っていたのが『意外と平気』という予想もつかない心境でした。

え、こんなんでいいの?
なんで喪失感みたいな感じにならないの?
あれほど頑張ってたのは何だったん?
更新出来なくて挫折したのにこんなに平気なもの?
じゃあ、もう更新しなくて良くない?

そんなよく分からない感情が渦巻いていました。
今までコツコツ続けてきた努力を、台無しにされた気分です。
まー台無しにされたって言っても、スンってなっているのは自分なんですがw。


まぁ考えてみると、確かに私が更新しなくてもnoteは回っていくし、誰もそれを気にしたりはしないんですよね。そんな何も成し遂げてない人が更新しないことや、それに対しての挫折感について語られても…っていう感じは確かにあります。
ええ、ええ、それは分かっておりますとも…。(…チラッ)

でも他人の評価はいざ知らず、自分で価値のあることだと思って続けていたことが、案外そうでもなかったいう事に気が付いて。そのことが結構ショックだったんですよね。

誰が悲しまなかったとしてもお前はちゃんと残念がれよ、挫折感に打ちひしがれろよって。
お前のnote愛はその程度かという誰にも届かない心の叫びがこだまするのですw。



考えてみたら『更新しなくても平気』というのは、noteに限らずtwitterでもそうなのかもしれません。

アカウントをやめる事なんて考えたことなかったけど、それはそれで待っているのは『案外、普通』という事なのかもしれません。

あるいは、それはネットに限らないのかも。

友達と遊べることや、毎日仕事していること、あるいは大事に思っている事など…。
それらのほとんどが『無くても平気』なものなのかもしれません。
自分たちが大事にしていることなんて、全ては錯覚みたいなものなんじゃないかしらって。まるで昔好きだった恋人との日々のように。


心が離れてしまったとしても思ったほどには心に穴は開かないし、たとえ穴が開いたとしても、すぐに別の何かで埋まるんですよね。
その事実は自分の中では思った以上に大きな事実でした。


●ダメな友人と続いている理由と、それでも更新するための理由


私には専門学校の時からの付き合いの古い友人がいるのですが、その人はまぁダメ人間でw。私も人の事を言えた義理ではありませんが、会う度に『やはりこいつはどこか頭のねじが外れている』って思うんですよねw。考え方や生き方など相容れない部分ばかりだったりしますけど、それでもなんだかんだで今だに友人として付き合っています。

でも、きっと学校時代に知り合わなかったら、仲良くはなってないと思うんですよね。例えば仕事で知り合ったとしても仲良くはなってない。言うても性格は合わないし、許せない部分もいっぱいありますしw。

知り合えたのは"縁"だと思うんです。
仲良くなる必然性は何もなく、ただそこに居合わせた結果として友人となって、それが今でも続いていてって感じで。

noteもそれと同じなんじゃないかなーって思うんですよね。

noteの独自性とかメリットとかコンプライアンスとか不平不満とかそれぞれで色々語られているけど、結局使いだしたのは何かの縁で。

そこで毎日更新し続けて、絵や文章を見たり、たまにコラボなんかもしたりして、その結果なんとなく気の合う友達にもなれたりして。

noteに限らず、ネットに限らず、現実でも一緒だよなーって。
多分、そういう事が更新をするかしないかのずっと手前にある『大事なこと』だと思うんですよね。


『これからは更新しない』という結論が出たとしたら『留まる理由』は無いのかもしれないけれど、もし残るのであれば『残るための理由』はちゃんと心に留めておかないとなーと思ったんですよね。

『更新しなくても平気』だとしたら、何のために更新するのか?

『誰もがだれもが創作をはじめ、続けられるようにすること』がマクロ視点における創作コミュニティの理想論であるならば、個人というミクロ視点における理想論はまた違うと思うんです。


その答えは人それぞれ違うはずだけど、留まる理由を自分で納得できている人こそ憧れるし、そういう人になりたいなーと思うんですよね。

きっと私が欲しかったのは『分かり合える仲間たちがいる場所』ではなく、『価値観も考え方も全然違うけど縁あって出会えた、なんだか変な人たちがいる場所としての継続』だったりするのかなーと思いました。

更新はそんな、人たちと出会うための『縁』の役割を果たしているのかもしれません。



そんな『縁』をこれからも求めて、どんちゃん(山ちゃん)更新止めへんで~w!

そんな訳で、これからもよろしくお願いしまーす!

(オチがひどい)


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