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わたしは、わたしでしかいられない。

あらためて、そう感じた映画だった。

遅ればせながら、映画『ある少年の告白』("BOY ERASED")を観た。ずっと気になっていて、観たくてしかたなかったのに、どうしても観れなかった。幼い自分の内面を振り返らずにはいられなくなるのではないかと、怖かった。(一部、本作のネタバレを含みます。未観の方は、お気をつけくださいませ)

舞台はアメリカの田舎町。あるきっかけで、「自分は男性のことが好きだ」と気づいた主人公・ジャレッド。両親にカミングアウトすると、「同性愛を治す」という危険な矯正セラピーへの参加を進められた。施設へ入ると、日々自問自答させられる。「本当の男らしさとは何なのか?」「いまの自分をつくり出した責任は親、親族にある。家系図を書き、各々の人物にあてはまる罰(ドラッグ・ポルノ愛好者・DVなど)を記せ」「心の精算をせよ」ーー。印象的だったのは、教官・ブランドンが参加者全員に仁王立ちをさせるシーン。いわゆる男らしいポーズをさせ、レズビアンのサラに「男らしいと思う順に、男性の列を並びかえろ」と指示をする。

この「男らしい」「女らしい」に振り回されてきた側の気持ちを知らない大人も、多いだろう。わたし自身、小学校入学前に「かっこいい黒のランドセルのほうがいい!」と両親に伝えると、「恥ずかしいからやめなさい。女の子は赤なの、わかった?」とたしなめられたことを今でも覚えている。ズボンばかり履いていると、「スカートばっかり。もう少し女の子らしい服装でもいいのに」と祖父母に言われ、一緒に買物に行くとワンピースかスカートばかり買わされた。書道教室に通っていたときもそうだった。隣に座る子はいつも「左利き」を矯正されていた。「親も先生にそう頼んで、この教室にきた」と、本人から聞いた。「右利き」でなければいけないなんて、一体いつ、どこの誰が決めたのだろう。矯正を強制されることに、当時から違和を感じていた。とくに、幼いことを理由に、親や大人の意図するまま、誘導されるまま、「わたしらしい」とは違うほうを勧められ、導かれる現実があった。

映画の主人公・ジャレッドが受けた「矯正治療(コンバージョン・セラピー)」は、実際にアメリカで行われているものだという。原作者のガラルド・コンリーが、19歳のときに体験したもので、強制的に性的指向やジェンダー・アイデンティティを変えようとする、なんの科学的根拠もない治療方法。アメリカでは、約70万人もが影響を受けると言われており、そのうち約35万人が当時未成年だったと言われる。作中のキャメロンがそうだったように、この治療は自殺率の高さも指摘されている。現在、規制は進んでいるものの、現在も強制治療は施され続けているそうだ。

施設で自分を偽り、懸命に「ぼくではないぼく」を演じ続けようとしたジャレッド。世間体を気にして、息子の様子を気にかけようともしなかった父・マーシャル。次第に治療への違和を感じ、息子を守ろうと決めた母・ナンシー。「ぼくは変わろうと努力をした。ほんとうにぼくを失いたくないなら、次は父さんが変わる努力をすべきだ」。まっすぐな目で父親にそう伝えたジャレッドは、羨ましいほどに美しかった。この言葉を両親に伝える日が、わたしにも、いつかくるだろうか。

I think we're our own God. I mean, I think he's in us. In all of us, not, you know, somewhere hiding and watching. I'll prove to you that God won't strike you down.ーー作中・ゼイヴィアの言葉より

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