ぼくらの東京オリンピック
終わってしまえばまるで夢のような17日間でした。
初めての無観客、初めての1年延期、自分が成人してから初めての自国開催のオリンピック(長野大会は小学生だったかな?)
もう自分が生きているうちに夏季五輪は日本にやってこないかもしれない。
開会式と小林賢太郎さんについて
ギリギリまで開催するのかどうかよくわからなかった東京五輪が本当にやるんだな。と覚悟決めたのがおそらくこのぐらいの時期、開会式のスタッフが事前に発表され、その中に私の敬愛する小林賢太郎さんの名前があったことに歓喜しました。プレーヤーを引退されてどうなるかと思っていた矢先の大きな仕事での登場に心躍りました。どんなセレモニーを見ることができるのか想像するだけでワクワクが止まりませんでした。
前日までは。
過去のコントでのセリフが原因となり、ものすごく批判され開会式メンバーから外れてしまったのです。
自分の感情を論理的に説明できないぐらいのショックを受けました。それがショックというカタカナ4文字で現していいものなのかもわからないぐらい心が落ちました。
差別もいじめも犠牲者を嘲笑することも絶対やってはいけないことです。それを踏まえた上で、SNSでの批判。五輪にふさわしくないとか、そんな匿名の意見や、ネットニュースでのこの番組でこのコメンテーターはこんなこと言ってましたみたいな記事を読めば読むほど心が落ちました。
批判することの容易さと許すこと罪と向き合うことの難解さ
ゲーム理論的に、批判意見が溢れていくのは当然の流れなのだと思えば思うほど現実が嫌になりました。
いざ、開会式。ちょっと泣きそうになる。小林さんの作品に出ていた人たちの登場。演出の随所にみられる小林さんの面影にうれしくなりました。全然排除されていない。もしかしたら排除されたものもあるのかもしれないけど・・
そこからも現在の小林賢太郎さんは、歴史的事件をお笑いのネタにするような人物という印象で終わっていいような人ではないと発信する人たちの声で少しずつ心に平穏を取り戻していきました。
こんなにオリンピックって見れなかったっけ?
時差がないからすごく観戦しやすいと思ってたんですが、期間中は平日でもがんがん競技してるんです(当たり前ですが)しかも思っていたよりも1日にやる競技数多いんです。(競技数は歴代最多らしいです)だから思っていたよりも競技が生でみれない。五輪じゃなかったらテレビでみれないような競技をのんびり見て実況と解説の人の会話を楽しむのが好きなんですけどね。「日本がんばれ!」っていうスタンスもいいんですが、それと同じくらい国とか関係なく「この選手がすごいよ!」「この競技の面白さはここだよ!」みたいな中継が好きですね。「バスケ3×3」男子の決勝とかすごく見ていて迫力ありドラマもありで面白かったです。
まぁそれだけ自国開催ということもあってか日本選手の活躍が目覚ましかったということなんだと思います。
印象的なシーン
新競技の「サーフィン」の自然あっての競技で運の要素が高そうだなぁって思ったりサーフィンでそんな技もできるの!?と驚いたり、「クライミング」のリードの疲労に耐えながら一歩一歩着実に登っていく姿と完登したときの達成感の高さ(決勝のボルダリング課題の難易度設定はちょっと高すぎたきもしてますが)なにより引退を決めていた野口選手のリードのラスト3手4手ぐらいからすごく感動しました。限界近い状況でさらにポイントを伸ばすために一手一手登る姿に心打ちました。あと女子金のヤンヤ選手は次元が違った。「スケートボード」ストリート女子の決勝でアナウンサーの人が言った「13歳、真夏の大冒険」ものすごくパンチライン残そうって気持ちを感じました。過去の体操団体であった「新月面は栄光への架け橋だ」みたいな。
「柔道」の大野選手が優勝決定後のインタビューで言った「賛否両論あることは理解しています、ですが、我々アスリートの姿を見て、何か心が動く瞬間があれば、本当に光栄に思います。」まさに今大会そのものを的確に捉えてる言葉に感じました。五輪中継中はだれも五輪開催に疑問を投げるようなことはしないんですよ。普通は。そんな最中に賛否両論があるという当たり前のことを気づかせてくれたこと、それを踏まえた上でアスリートとして出来ること、己に出来ることと向き合い出した答えのようなものを発言できてるんだと思う。武道を突き詰めオリンピック連覇するレベルの達観すら感じた。
「バレーボール」からどう派生したら「ビーチバレー」にたどりつくんだろうか。
「走り高跳び」男子決勝の2人の金メダリスト。純粋にきれいで素敵な世界だなと思った。順位はあくまで結果であって、本当に重要なのは記録なのかなと。それをオリンピックの舞台で体現したのを目の当たりにできてうれしかった。それ以上に2人の金メダルが決定して喜び称え合う姿が感動的でした。
オリンピックという存在
実際に日本以外の国がオリンピックという存在にどのぐらい関心をもっているのかは知りませんが。国際問題の最先端のような発信力があるように思う。今大会だとLGBTがもっと知られ平等にいれる世界に一歩前進したり、選手に直接SNSで誹謗中傷を言うことができる問題性が浮き彫りになったり、コーチからの選手や動物に対する暴力を強く問題視したり、女性アスリートを性的な対象として扱うことに抵抗したり、アスリートのメンタルヘルスケアを真剣に考えるきっかけを作ったり。
辛い人が辛いと素直に発言できて、それを世界中の人が受信できる場になり、その次代に抱える問題と向き合うきっかけになり、現在抱えている問題については解決への可能性を感じる一筋の光を見ることができる。
かつてはスポーツを利用した代理戦争だったかもしれない。しかし平和の祭典という言葉の名に恥じない大会として近代五輪が背負っている命題は形を変えながら今も世界中に問題を投げかけ、平和への糸口を示してくれている。
コロナ下で開催の意義を疑う中での開催でした。実際無観客&コロナ対策で日本は結構な赤字だったことでしょう。そんな状況故に人々はアスリートはオリンピックの開催意義を考えたのではないのでしょうか。もしかしたらIOCや広告代理店の金儲けとか国の威厳のためとか、アスリートの傲慢だとか思う人もいるかもしれません。
賛否両論はあります。でも私は今大会を通じてやっぱりオリンピックっていいなって思いました。もちろんそれだけではコロナで苦しむ人がいるなかで開催するほどの意義を見いだせるのかは不明です。ぐうの音も出ないです。
なんで東京五輪のタイミングで?とも思うし、日本だからできたのかなとも思うし(あんまり根拠のない日本万歳は苦手ですが)これからコロナ感染者数がどうなるかもわからない。半年後の北京がどうなるかもわからない。わからないだらけの世界で、今を生きていかなきゃいけない。
だからとりあえず貴重な体験として心に少しでも刻んでおきたい。
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