憧れることのできない自分という人形

自分の空虚さに気付かされました。

私は自分よりも上手にデキる人、素晴らしい人に
出会ったとしても、それも羨ましく思っても憧れたり
しないのだと。
自分は自分、他人は他人と線を引いてしまい。
自分の今の実力が自分のすべてであり、それは仕方のないことだと
割り切ってしまい。結果として憧れない。
というか目指そうと思えない。

すごくうまい絵をすらすらと描けるようになりたいと思う
いい音楽を作曲して形にしたいと思う
面白いストーリーを考えてそれを文章にしたいと思う
きれいであったり面白いと思う写真をとりたいと思う

でも具体的に何を描きたいのか、見せたいのかがわからない
でも具体的に曲で何を伝えたいかがない
文章を書くための努力を乗り切ろうとする情熱がない
カメラを買ったぐらいがやる気のピークなのは間違いない。

そんなことで結局なにもしないまま30歳を過ぎてしまいました。
ちょこちょこはなにかしているのですが
すべてにおいてなにも気が入り切らないまま30を過ぎました。

私は私を誇る材料が何一つありません。
私は空っぽなのかもしれません。
人間を目指すも人間じゃないから本質になりきれない偽物です。

ただ人から承認されたいだけなのかもしれません。
ホントは絵も描きたくないし
曲も作りたくないし
ストーリーも作りたくないし
写真も取りたくない

ただ、人から「すごいね」って言われたい、思われたいだけの
卑しい卑しい空っぽの人形なのかもしれません。

子供のころはもっと想像力豊かで、自由帳に
自由なことを書いていた記憶はあるのに
いつからこうなったのかな。

それでも、ときどき
かすかに楽しいって思う瞬間が
かすかに楽しいって感じる物事が
あるような気がします。

いつのまにか自己評価の低さから
憧れることを諦め
自分の中の楽しいという気持ちを育むことを諦め
周りの目・評価・自分の体裁を保つために
自分の脳みその思考回路を使ってきました。

まだ間に合うかな。
とっくに脳みそは衰えて
自分の体裁を保ちきれなくなったから

これからは自分の楽しいという気持ちに
純粋な楽しいという気持ちに
素直に向き合えるかな。

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