思い出のJリーグ

今シーズンのJリーグのストーブリーグは、寂しい気持ちと期待とが入り混じったシーズンだ。
応援してきたチームが降格した。リーグ終盤に状況は持ち直しつつあったが、いかんせん遅かった。
2度目の降格だ。
新しいシーズンは、その持ち直した指揮官により、どんなチーム編成になるのかという点においてはポジティブに捉えて、期待をしている。
抜本的にチームを変えるチャンスだからだ。
この数年の低迷を打破できるかもしれない。
もちろんうまくいかない可能性もある。歯車がさらに狂えば、万年J2だってあり得る。名門だってその辺は容赦ないのがJリーグだ。

幼少のころより応援してきたチームの低迷は寂しい。
スタジアムから徒歩の距離に自宅があった。自宅の窓からは、ゲームの日ともなれば照明の灯りが見え、ゴールが決まれば歓声が届いた。

チケットをもらって初めてスタジアムを訪れたときの光景は、20年以上昔のことだが、今でも脳裏に焼き付いている。
まだJリーグが始まる前だった。当時からチームの顔だった中山雅史:通称ゴン。
初めてスタジアムに入ったとき、すでにゲームは始まっていた。と、目の前に必死の形相でボールを追う長髪の選手が飛び込んできた。それがゴンだった。沸くスタジアム。
その日の試合結果は覚えていない。その光景だけが記憶に残っている。

その時からサッカー観戦にハマった。
そのチームがJリーグ参戦してからは、ホームゲームは欠かさずスタジアムに駆けつけた。当時は中学生だったはずである。週末の試合の時には、早朝から順番待ちのシートを友達と貼りに行った。横断幕も自分たちで作った。

練習場によくサインをもらいに行った。それに飽き足らず、選手寮にまでサインをもらいに行ったが、いつの日からか選手寮の敷地には入れなくなったのは必然だ。
アウェイのチームが前泊するホテルにも押し掛けた。目の前のチームバスに、ジーコとアルシンドがいたのには興奮した。

ラジオ番組を聴くことも欠かすことはなかった。当時のパーソナリティと、大人になってから仕事でお会いできたときは嬉しかったけど、ちょっと時代を感じた。

塾の日に試合があるときは、気が気ではなかった。我慢できず、ポータブルラジオを教室に持ち込み、イヤホンを袖から通してこっそり聴いたが、さすがにバレてテキストで叩かれた。
でもそのときの講師の行きつけの飲み屋が、ゴンの行きつけでもあったらしく、後日サインをもらってきてくれた。

思い出は尽きない。
あんな田舎町にもJリーグチームがあることが誇りだった。
まさに「地域密着」を掲げて旗揚げしたJリーグのあるべき姿だったと思う。
テレビで見る有名選手が、コンビニで立ち読みしている。クルマを運転している姿を見かける。それが日常の生活に溶け込んでいた。

大きな資本が入ってチームも強くなる。それはそれで良いが、「地域密着」の理念は忘れて欲しくない。
観客動員が増えるからといって、大都市にばかりチームが移転集中するのはよろしくない。裾野が広いJリーグだからこそ、カテゴリー関係なく、地方片田舎でも地域の誇りと感じられるリーグ形成が継続されていくことを期待している。

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