『必殺! 恐竜神父』で学ぶ、予算がないなか使えるものは全て使う姿勢

映画ライターの che bunbun(チェブンブン)さんが傑作だと褒めちぎっていた『必殺! 恐竜神父』を見て、これは確かに学ぶことが多いと感じたので熱が冷めないうちにまとめていきます。

この映画から学べることを一言で表すと「予算がないなら使えるものは全部使う徹底的なスタンス」です。この作品は製作者側の創意工夫だけでなく、視聴者にも積極的についてくることを要求します。

※ この記事は作品のネタバレを含みます。

『必殺! 恐竜神父』のあらすじ


敬虔な牧師ダグは自動車の爆発事故で両親を失い、傷心の旅で中国を訪れる。そこで忍者に追われる謎の女性から牙の化石を受け取るが、その牙は人間を恐竜に変身させる力を秘めていた。強大な力を得たダグは娼婦キャロルと協力し街のために悪人退治を始めることとなる。彼らは悪党たちとの戦いの末にチャイニーズ・ニンジャ軍団が全ての黒幕だと知る事になるが…。

引用元:Amazonプライム

製作者として参考になった4つのポイント

制作をするものとして、恐竜神父から学ぶことは多かったですが、次の4つは特に重要だと感じました。

  • 聖書をミームとして利用し作品の流れを伝える

  • VFX:Car on fire--特殊効果:炎上する車

  • 没入させすぎない雑なコメディとエロ

  • 手を抜かないアクションシーン

聖書をミームとして利用し作品の流れを伝える

必殺恐竜神父はダグの説教シーンから始まります。

ヨブ記の最も大切な教えです
苦しみながらも耐え忍ぶのが善人である

引用元:『必殺! 恐竜神父』

日本人に聖書は馴染みがないかもしれまませんが、ヨブ記は聖書の特異な部分であり、信仰深いヨブが試練に直面する物語です。サタンは、ヨブの神への信仰を試すため、彼に対して非常に過酷な試練を与えます。

罪を犯していないにもかかわらず、ヨブは財産と家族を失い、病に苦しむことになります。信仰を失いかけたヨブが、最終的に再び神を信じるようになる過程が、ヨブ記の物語です。

「恐竜神父」の冒頭でヨブ記が引用されたことで、この映画のあらすじが信仰深い牧師が突然の悲劇に見舞われ、神の教えに反して落ちぶれていくのだと暗に示すことに成功しています。

アメリカや中国、恐竜、忍者とてんこもりの情報を70分という短い時間に詰め込むために、聖書をミームとして使用している点はすごく参考になります。

また、説教シーンの映像には、教会の十字架に窓から差し込む「×」の形をした太陽光が重なっており、アンチ信仰の物語であることも伝わりました。冒頭の1分間で作品の方向性を伝えるテクニックとして参考になりました。

VFX:Car on fire--特殊効果:炎上する車

この映画で最も有名であり、意見が大きく分かれるシーンは、"特殊効果炎上する車"のテキストが表示される部分です。制作側は限られた予算内でCGを使用することができず、車が炎上する映像を直接用意することが不可能だったため、代わりにテキストを映像にするという選択をしました。

私はこのシーンを非常にポジティブなものと捉えています。予算の制約の中で、観客の想像力を引き出すための独創的なアプローチとしてこの方法を取ったことは、高度な創造力の発揮だと感じました。無料の素材を使った炎のエフェクトを加えることは可能だったかもしれませんが、制作側はあえてそれを選ばず、テキスト表示に留めています。

このシーンが映画の冒頭1分に配置されていることは、特に重要な意味を持っています。この表現方法が選ばれたのは、予算の関係で終盤にカットされたのではなく、映画の最初に観客に伝えるべき重要なメッセージだからこそ、テキスト表示という手法が用いられたのでしょう。

テキストの表示が約30秒の間に3回行われるのは、意図的に行われており、観客に積極的に映画に参加するよう促しているとしか思えません。このような熱意を、私自身がクリエイティブを創る際には発揮できていないことに気づかされます。

予算や制作時間が限られているとき、製作者は通常、できる限りの最善を尽くすことしか考えられませんが、この映画は観客の努力をも作品制作の一部として取り入れている点でユニークです。

観客が積極的に想像し、解釈することで初めて完成する作品として仕上がっており、その点がこの映画の特異性を際立たせています。

没入させすぎない雑なコメディとエロ

本作は観客を積極的に物語に引き込むよう呼びかける一方で、敢えてちゃちな演出や雑なコメディ、安っぽいエロシーンを取り入れることで、観客との一定の距離を保つ表現が見事です。

例えば、中国への移動シーンでは、飛行機の映像や風景を一切使用せず、「チャイナ」という大きなテキスト表示とダグの一言で場面転換を表現する無理やりさがあります。また、主人公ダグのマッチョな体型が娼婦から借りたドレスに合わず、滑稽な光景を描き出します。

さらに、黒幕が実は弟だったと明らかになる重要なシーンでも、演出の雑さが目立ちます。これら普通なら映画として失望させかねない演出が、観客を適度に物語から距離を取らせ、笑いやリラックスした視聴体験を提供します。

このように観客との距離感を絶妙にコントロールすることが、「恐竜神父」を傑作と称される理由の一つかもしれません。70分間、ずっと没入させるのではなく、適度に距離を置くことで生まれる笑いが、エンディングまで映画を引き立てます。

手を抜かないアクションシーン

恐竜神父では、全体を通じて特殊効果や特殊メイクはちゃちなものが多いにもかかわらず、役者の演技とアクションシーンには一貫して高いクオリティと努力が注がれています。

この一貫性と、どうしても守らなければならない部分へのコミットメントは、視聴者に大きな安心感を与えると感じられました。予算や時間が限られている中で、削減可能な部分は削減しつつも、製作チームは演技とアクションシーンの品質を維持することを優先したのでしょう。

これらの要素は、作中で見られるコメディ要素とは一線を画し、非常に高いクオリティで仕上がっていることが印象的です。このような製作スタンスが、恐竜神父を特別な作品にしている理由の一つだと言えるでしょう。

まとめ:使えるものは使う、それがお客様であっても

「恐竜神父」を見た70分間で私が得た教訓は、予算や時間が限られている中でも、利用可能なすべてを最大限に活用し、さらには視聴者自体を作品製作の一部にすることの重要性です。

このように視聴者を積極的に作品作りに参加させることは、クリエイターにとって非常に大切な考え方であり、視聴者にとっても新しい体験やホスピタリティを提供する機会になります。

しかし、ただ視聴者の想像力を最大限に利用するだけではなく、適切な距離感を保ちながらリラックスした視聴体験を提供することの重要性も学びました。このバランスの取り方は、特に低予算で作品を製作しているクリエイターにとって、多くの学びを提供するものだと感じました。

本作を勧めてくださったチェブンブンさん、素敵な映画をご紹介いただきありがとうございました。

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