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SORCERER
マイルス・デイヴィスさんが最初のレギュラー・バンドを組んだのが1955年です。
その辺のことは以前、『Round About Midnight』で書きました。
その時はジョン・コルトレーンさんがサックス、レッド・ガーランドさんがピアノ、ポール・チェンバースさんがベース、そして、フィリー・ジョー・ジョーンズさんがドラムで、“第一期黄金クインテット”と呼ばれています。
その後、1960年にコルトレーンさんが脱退するなどして、次々にメンバーの入れ替えがあり、しばらくメンバーが固定されない時期がありましたが、1964年の秋にマイルスさんはウェイン・ショーターさん(サックス)、ハービー・ハンコックさん(ピアノ)、ロン・カーターさん(ベース)、そして、トニー・ウイリアムスさん(ドラム)による“第二期黄金クインテット”を結成しました。
マイルスさん自身もこの4人のメンバーからは多くのことを学んだと語っていますし、偉大なバンドとまで言っています。
マイルスさんは1940年代から1991年に亡くなるまで、ジャズ界に限らず、音楽界に多大な影響を与えた存在です。
マイルスさんは音楽をジャンル分けすることを意味のないことだと考えていて、良い音楽とそうではない音楽があるだけという考え方をしていました。
その結果、様々なジャンル…例えばクラシックやロック、ファンク、ポップスなどからヒントを得ていました。
音楽を追求することに何の制限もかけず、良い音楽…マイルスさんの言い方ではクールな音楽を作ることに集中していました。
どのような世界でもそうですが、プロとして自分の専門を追求する為に様々なことを学び、実践する姿勢や型を破る姿勢が大切であることを示してくれました。
そこで、本日の“こずや”のBGMはマイルスさんの1967年の名盤『ソーサラー』です。
1967年と言えば、ビートルズの全盛期…正に、ロックが世界をロックして揺るがしていた時代です。
アルバムのタイトルの『ソーサラー』は、ハービー・ハンコックさんの曲「ザ・ソーサラー」から取られていますが、意味は“魔術師”で、それはハンコックさんがマイルスさんに付けたニックネームです。
ウェイン・ショーターさんが作曲した「プリンス・オブ・ダークネス(暗黒の王子)」は後にマイルスさんのニックネームになりました。
みんな、マイルスさんをインスピレーションにして曲を書いていました。
この作品では若いメンバーによる新曲ばかりが演奏されています。
マイルスさんの曲はありません。
ウェイン・ショーターさんの4曲とトニー・ウィリアムスさんとハービー・ハンコックさんが1曲ずつです。
ますます若いメンバーの力が前面に出てきていて、ウィリアムスさんの「ピー・ウィー」ではマイルスさんは演奏すらしていません。
それでもアルバムを通してマイルスさんの存在感はますます際立っています。
彼ら自身の楽曲を取り上げて、思う存分演奏させながら、最後の一線だけは越させない…異様なまでの威圧感を感じます。
どんな状況でもマイルスさんの音楽にまとめあげる…正に“魔術師”です。
そして、もう1人の“魔術師”がいます。
ドラマーのトニー・ウィリアムスさんです。
1945年の生まれなので、『ソーサラー』が発表された時はまだ22歳でした。
ドラムを始めたのは8歳で、元々、天才肌ではあったのですが、最初の師がアラン・ドーソンさんという凄いドラマーであったこともあり、“アラン・ドーソン・メソッド”をマスターして13歳という若さでプロミュージシャンになりました。
アラン・ドーソンさんはジャズドラマーの為の教本の基礎を作った人物であり、ジャズの名門であるバークリー音楽院の教授としても有名で、アレキサンダーテクニークに基づいたモーラー奏法という叩き方に精通した人物でもあります。
偉大な師匠からたくさんの技術を吸収して、13歳の時にサム・リバースさんに雇われ、16歳の時にはジャッキー・マクリーンさんのバンドで活躍します。
その後17歳で、マイルス・デイヴィスさんに目をかけられてマイルスさんのバンドに加わります。
トニー・ウイリアムスさんの演奏を聴いて最初に感じるのは物凄い風圧を感じるようなスイング感です。
そして、周囲のメンバーとのアンサンブルに関わる反応のスピードが凄く、アドリブの時のフレーズが何とも魅力的です。
それまでのジャズドラムはベーシストとリズムの土台を作ってバックでソリストのサポートをする感じで、極端に雰囲気やダイナミクスを変えることはありませんでした。
トニーさんの場合はしっかりとリズムの土台を作った上で、ソリストの尻を蹴り上げるように煽りまくって、バンドを引っ張ると言うよりは押し上げています。
気まぐれのようでもありますが、ソリストを振り回すような勢いで音楽を変化させることができるドラマーでした。
そして、圧倒的な技術から生み出される自由奔放な高速フレーズとパワフルなプレイが印象的でもあります。
ドラムは楽器の中で最も雰囲気に影響力のある楽器の1つとされているので、ドラムが煽り出したら周りのプレイヤーはある程度従うしかありません。
それを自分より実力が上のプレイヤーとのセッションの時に煽るには、かなりの勇気が必要です。
トニーさんは10代の時からマイルスさんやハービー・ハンコックさんなど当時一流とされていた人たちに真っ向勝負のようにやり遂げていたわけです。
やはり、天才だからこそできることです。
トニーさんは、マイルスさんのバンドを離れてからは、ロックの影響も強く受けてスタイルもサウンドもどんどん変えていきました。
そして、1997年に心臓発作で51歳の若さで亡くなられました。
そして、このアルバムを通して、トニーさんの奔放なドラムに絡みつく、ロン・カーターさんの変幻自在なベースワークが実は最も凄かったりします。
実は真の“魔術師”はロンさんだったみたいな…。
…と言いながらも、ハービーさんもウェインさんも“魔術師”なわけで…全員のことを書いてると字数が凄いことになるので、今日はここまでにします。
60年代のジャズは50年代までとは随分と雰囲気が変わりましたが、これはこれで、あぁ~ステキ♪
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