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Mellon Collie and the Infinite Sadness

1990年代のロックと言えば、真っ先に思いつくのがグランジです。

1990年代の10年間はロックというジャンルが細分化された時代で、オルタナティヴな多様化したバンドがたくさん出てきた時代です。

その先陣を切ったのがグランジでした。

それもロックが社会現象的な人気を得ていた最後の時代でもあります。

1989年頃からアメリカのシアトルを中心に勃興したグランジは、“汚れた”、“薄汚い”といった意味の形容詞“Grungy”が名詞化した“Grunge”が語源になります。

グランジの勃興によって、それを包括したオルタナティヴ・ロックと呼ばれるジャンル全体が改めて評価されることになりました。

オルタナティヴ(Alternative)は、“もう1つの選択”、“代替手段”といった意味があります。

オルタナティヴは、大手レコード会社が主導になった商業主義的な産業ロックやポピュラー音楽とは一線を画して、アンダーグラウンドの精神を持つジャンルです。

1970年代後半から80年代にかけて隆盛を極めた産業ロックへの反発から、1960年代半ば以降の音楽面や思想面での実験的でチャレンジャーとしてのロックへの回帰を志向しています。

商業的な成功よりも自由な表現手段を選び、自分たちの表現方法を追い求めている人たちです。

起源はヴェルヴェット・アンダーグラウンドの『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ 』とされています。

代表的なバンドに、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、R.E.M.、フェイス・ノー・モア、ジェーンズ・アディクション、ナイン・インチ・ネイルズ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、トゥール、レディオヘッド、ベックなど錚々たる名前が並びます。

私に言わせれば、80~90年代のU2やメタリカとかもそこに分類されると思いますが、彼らの場合は革命を起こして主流になってしまったので、立ち位置が独特です。

1991年に、ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』、パール・ジャムの『テン』、サウンドガーデンの『バッドモーターフィンガー』、アリス・イン・チェインズの『ダート』、そしてスマッシング・パンプキンズの『ギッシュ』が発表されたことで、グランジはロックの潮流を一気に変えました。

これらのバンドがチャートで成功を収めたことで、それまでメロディアスなハードロックや髪型に重点を置いたヘアメタルが多かった当時のアメリカのロック界の潮流を革新しました。

服装はダメージジーンズとスニーカー、ネルシャツやTシャツといったスタイルで、ファッション業界にも影響を及ぼしました。

これが90年代の中盤から後半になると“衣装”になってしまった時は笑ってしまいました…あれは日本だけの現象だったのかな…。

プロに限らず、アマチュアバンドとかにしても、LIVE衣装だと言って、ステージに上がる前に普段着ている服よりもボロボロでヨレヨレの服にわざわざ着替えていたものですから…シュールな世界でした。

私の場合は古風で、ステージに上がれば服を脱ぐだけだったので…ちょっと考え方が違いました。

グランジの時代を引っ張っていたカリスマ…ニルヴァーナのカート・コバーンさんが1994年4月に27歳という若さで亡くなり、1989年にグランジの先鋒を切って登場したサウンドガーデンが解散した1996年ぐらいで、この流行は完全に衰退してしまいました。

グランジのルーツは、1970年代のハードロックやヘヴィメタル、パンクロックとされています。

初期のエアロスミスやキッス、チープ・トリック、ラモーンズ、セックス・ピストルズといったバンドや、もっと前のデヴィッド・ボウイさん、イギー・ポップさん、アリス・クーパーさん、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン…などです。

カート・コバーンさんがニルヴァーナのサウンドをチープ・トリックとブラック・サバスが出会った音楽と表現し、ボストンの「モア・ザン・フィーリング」みたいなリフを奏でたのが代表曲の「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」です……あれは「ルイ・ルイ」を意識してたのかな?。

スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンさんは25年以上前のインタビューで、無人島に3枚だけアルバムを持って行けるとしたら、ブラック・サバスの『血まみれの安息日』、シン・リジィの『脱獄』、チープ・トリックの『at 武道館』を挙げていました。

今日の“こずや”のBGMは、そのビリー・コーガンさんが率いるスマッシング・パンプキンズの『メロンコリー~そして終わりのない悲しみ』です。

メンバーは、ジェイムズ・イハさんがギター、ダーシーさんがベース、ジミー・チェンバレンさんがドラムです。

デビュー作の『ギッシュ』と1993年の2nd『サイアミーズ・ドリーム』で既にグランジに括り切れない幅広い音楽性を見せていたスマッシング・パンプキンズの創作活動のピークとされているのが1995年の3rdアルバム『メロンコリー~そして終わりのない悲しみ』です。

2枚組で28曲の名曲が収録された2時間超えの大作です。

通して聴いても最高、どの曲を拾って聴いても最高、逆から通しで聴いても最高、どっからどの順で聴いても最高な名盤です。

ドラマーはジミー・チェンバレンさんです。

ビリー・コーガンさんの歌、ギター、作った曲をスマッシング・パンプキンズの音楽に仕立て上げるのがジミー・チェンバレンさんの仕事です。

トニー・ウィリアムスさんやピーター・アースキンさん、フィル・コリンズさん、ジャック・ディジャネットさんなどの60~70年代のジャズフュージョンの偉人たちからの影響が強いドラマーです。

ゴーストノートやパラディドルなどルーティメンツを多用した手数の多い…ジョン・ボーナムさん的なグルーヴ重視のスタイルが多かった90年代としては独特なスタイルでした。

オープニングを飾る…スマッシング・パンプキンズの曲で1番壮大な曲「トゥナイト、トゥナイト」から個性全開です。

この曲について、チェンバレンさんは…、

“ブライアン・イーノの手法で音を削ることで最大の音を引き出そうとした。”

“世界的な名曲になると確信して、国際的な雰囲気があるウェザー・リポートの「バードランド」のアレックス・アクーニャさんのサウンドを取り入れた。”

…などと発言していて、やはり独特な発想で、独自の路線を突っ走っていたのがわかります。

グランジ大流行を牽引した上記のバンドたちには共通点があります。

ドラムが安定していて、バンドの演奏が上手いことです。

そして、スマッシング・パンプキンズを除いて共通した点があります。

それは、凄く良い声をした歌が上手いイケメン・シンガーが在籍していたことです。

サウンドガーデンにはクリス・コーネルさん、ニルヴァーナにはカート・コバーンさん、アリス・イン・チェインズにはレイン・ステイリーさん、そしてパール・ジャムにはエディ・ヴェダーさんがいました。

今も存命なのはエディ・ヴェダーさんだけですが、本当に皆さん格好良かったわけです。

しかし、スマッシング・パンプキンズは違いました。

ビリー・コーガンさんは決して良い声をしてるとは言えませんし、歌が上手いわけでもありませんし、イケメンなわけでもありません。

こんなことを書くと失礼ですが、確かにそうなんです。

でも、それを武器にしたのがビリー・コーガンさんです。

その個性を最大限に引き出せる曲とバンドを自分で作りました。

それがスマッシング・パンプキンズです。

全米ビルボードのアルバムチャートで1位も獲りましたし、グラミー賞も受賞しました。

ロックはそもそも自由であり、自己表現の場であり、現実社会からの逃避行の場でもあります。

まさにこんな感じ…。

“今夜、不可能は可能になる。(トゥナイト、トゥナイト)”

夢があって、あぁ~ステキ♪

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