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児童虐待社会。

 「残念だけど、いただきますを言った後は、お話をしないでくださいね」。8日昼、初めての給食の時間を迎えた1年生のクラスで、女性担任教師が黙食の仕方を説明した。児童たちは2日前に入学したばかり。分散して配膳の列に並んで席に戻ると、全員が正面を向いて静かにホットドッグやシチューを口に運んだ。
 「1年生にとっては人生で初めての学校給食。本来ならグループで席を寄せ合って食べ、学校の楽しさを感じられる場面の一つなんですが…」。内野雅晶校長(60)はそうつぶやく。児童たちに「本当はたくさんおしゃべりしたいですよね。いつかはできますから」と励ますように声を掛けた。

はっきり言おう。

「いつかはできますから」という言葉は本当に子どもをバカにしている。

小学1年生も2年生も3年生も4年生も5年生も6年生も中学1年生も2年生も3年生も一生に1度しかない。

メシを食う時におしゃべりをしたら病気にかかると誰が決めたんだ。

本当にふざけている。

会食は栄養補給だけにあらずだ。



だがね、僕は学校を責める気には実はそんなにならない。上記の記事のノー天気な校長には憤慨したが。

市井を見れば道行く家族は小さな小さな子どもにまでマスクをつけて歩かせている始末。そんな無自覚に児童虐待をしている親たち大人たちだらけだから学校では黙食なんていうバカな事を強いるようになるわけだ。

ゆえに僕は今の小中学生に頭を下げて謝りたくなる。本当に申し訳ない。僕は僕なりに今のクソみたいな社会に対してインティファーダをしているが…
僕のがんばり不足で君らの不自由な学生生活に加担している気になってくる。
(高校生や大学生たちは学生自治で学校とバトって欲しいと思ってもいる。特に大学生たちが唯々諾々とマスクを着用したりリモート授業という無に対面授業と変わらぬ学費を支払い続けているのには本当に日本国にはモヤシ学生しかいないのだと確信した。おらが母校では毎週水曜日に大学当局になんやかんやと常にシュプレヒコールをあげていたからな。)

僕の小学校や中学校の思い出なんざ、昼メシどきのバカ話や早食いしてからのおかわり競争や昼休みの遊びや登下校の寄り道しかない。勉強の事なんて覚えてないわい。

マスク着用や黙食でも思い出は作れると大人たちはほざくが、そんなわけがない。
あの時あの瞬間の僕や友達の表情は、メシとおしゃべりを上手にしつつ、マスクがなかったからこそのものである。

大人になると生存と生殖のための労働の日々が待っている。ガキの頃くらい好き勝手にやらせてあげましょうや。どうせガキンチョはコロナで死にはしないんだからさ。そう思いませんか。
特に金銭と性から解放されている小学生に老人を守ろうという大っぴらには言えない大人の都合を押し付けるのは本当によくないと思うよ。

いいかげんにしないと、そんなクソみたいな学校を解体せよ、爆破しろとも思ってきていますよ。

個人的なタイムリミットは息子が小学校に入学するまでの後2年だ。やるぞ、やるしかないぞ。

以上

てげてげやっど!