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善きサマリア人のたとえ?

先日のオンライン聖書を読む会では
ルカ福音書10章25節〜37節
を読みました。

「自分が正しいことを示そうとして」って、どういうこと?

イエスは
「律法には何と書いてあるか。
あなたはどうよんでいるか。」
と聞いているのに
律法に書いてあることしか
答えていない。

ユダヤ人とは犬猿の仲にあるサマリア人によって、
強盗に襲われたユダヤ人が助けられた話。
イエスの問いは
「誰が強盗に襲われた人の隣人になったか」
サマリア人がユダヤ人の隣人になったということ。

自分は隣人を愛せているか
と常に自分に問うている。
難しい。

イエスは、律法に書いてあることを
どう読んでいるか、を問うている。

この話の場合
隣人を愛するとは
敵を愛することではないのか。

隣人でない人っているのだろうか?

隣人を愛する方が
神を愛するよりもわかりやすい。

「心を尽くし、いのちを尽くし、
力を尽くし,知性を尽くして、
神を愛しなさい」とあるけど
どういう風に愛することなのだろう。
私は神をちゃんと愛せているのだろうか。

と、とてもよく知っているテキストではあるけれど、新たな疑問や、思いが尽きることなく
あっという間に時間になり、

「神を愛する」
ということは
次のマルタとマリアの話しにも
関係があるので
次回に持ち越しましょう
ということになりました。


オンラインで#聖書を読む会
昼の部と夜の部があり
隔週で開いています。

興味ある方は
連絡下さい。
#ゆるぼ

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