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マルタとマリヤ

今朝の聖書を読む会では
ルカ福音書10章38節〜42節
マルタとマリアの話でした。

マルタがイエスさまを迎えたんだ。
今まで氣づいていなかった。
なんで迎えたんだろう?
おもてなしするためかぁ。

私はいつもマルタのように
忙しくしてる。

今もやることがたくさんある。
朝一に御言葉を聞かなきゃと思いつつ
できていない。

このマルタが男だったら
どう感じるだろう。
僕は男なのでこの話は好きじゃない。
男はただ座っていればいい
という話でもないと思う。

「必要なのは一つなのだ」
という言葉を読んで
黙想、観想を思い起こした。

必要なことって何だろう?

旅人を介抱するサマリヤ人の話の
後の話なので
イエスさまが
旅をしているイエスさまをもてなすことを
良くないと言っているのではないと思う。

マルタは自分が今、
イエスさまをもてなすことが必要と思い
そこに集中していればよかったのではないのか?

マリアを自分の思い通りにならないから
イエスさまに加勢してもらおうとしているのが
違うのでは?

自分でマルタに言えば良いのに・・・

「今ここ」
に「いる、在る」ことが大切なのでは?

奉仕とイエスの言葉に耳を傾けること
両方大事。バランス?

奉仕も祈りになるのが理想。
分けられるものではない。

などなど
今日の霊の糧となりました✨

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