日記のメモ書き2022/08/13

祖父のことを、考えたい。けど、
語ってくれと言うのはこわい

勝手にこちらの物語で編集してしまってはいけないので
聴かなくてはいけないのだけど

傍らに居る、には時間が短すぎる

私の周辺、わたしのみのまわり
それを表わしてみるのももいいかもしれない


世界10代ウクライナ通信をちらりとみる。
10代、私たち以上にさまざまなものを、かけがえないものを奪われ、
不安の中を進まなくてはいけないのだろうと思う

戦争のせいで自分の祖父母に会いに行けない
切実

無力でないと信じて、どうにか毎日に、刻み、触れ、学び、動いても
世界の情勢はずっと生活を脅かし、暗雲が立ちこめたまま。
前に進んでいるのかもわからず、息を抜いて楽しむ余裕もない

中学生や高校生のやるせなさ
結局奪われたままになってしまう


世界の痛みに、私も痛まなくては、傷つかなくては
寄り添わなくては、と思う自分がどこかにいて、
うすっぺらいと思う。


表現するとか、記録するとか、調べること
その過酷さ、続けることの過酷さみたいなものはないのだろうか


今関わっている小学生たちに、平和や戦争のことをどう言えるだろうか
戦争のことを取り挙げるには何かしらのメモリアルがないと難しい気がする。
急に言っていいのかわからない、受け止めて貰えるのかわからない

幼稚園児を平和記念資料館に連れて行くの、けっこうな思いきりが要る気がする


することはシンプルで

聴くこと、佇むこと
ただそこに居ること
暮らすこと


かき集め続けること

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