日記のメモ書き2022/08/05


廿日市のさくらぴあへ。「原爆の絵」原画展を見に行った。
基町高校の生徒と被爆体験証言者との共同制作の絵
それぞれの絵には、場面の説明と高校生のコメント、被爆体験者のコメント、場面の場所を記す地図(爆心地を中心にしたものと、県全体をうつしたもの)
ぜんぶで100点の作品が展示されていた

絵をひとつひとつ見てまわりながら、わたしと広島の関係を考えてみたい、それを文章にしてみたいと思った。
私が広島を、ヒロシマをどう思っているのかということ
(後日くわしく書く。明日は早いので)

夏まえのゼミで、「原爆の絵」の実践についての研究を紹介して発表した。そこから、災禍の体験の伝承・継承について研究してみたいと思っている。そして、やるなら被ばくのことを、曾祖母と祖父にとっての戦争体験を取り扱いたい。家族の語りが出てきたこのときに、研究に関わりなくぼんやりとやろうとしていたことを、そのプロセスにも自覚的にやってみたい。それは、わたしが熱量をもてる、離れられないと思うから。
この夏は記録からどう私が伝承・継承していくのか、それを存分に考える夏にしたい。

絵を描くということは、その描こうとしている様子を細やかに脳内に描くことでもある。わたしは、幾度か証言を聞いたことがあるし、体験記などを読んだこともある。しかし、語られた様子を想像することがどれほど出来ていなかったか、、高校生のコメントと絵にはっとする。
「皮膚が垂れ下がって幽霊のような」「全身大やけどの」「真っ黒焦げになった」「ピカッとひかって」
文字として言葉として何度も触れたことがあっても、その様子を克明に思い描くことはしてこなかった。どれぐらい赤いのか、光の色はどんなか、服はどれぐらい破れているのか、
全身大やけどをした人を、やけどでひどくただれた皮膚を見たことがない。身体にウジが湧く様子も、まちが燃えている色も、人間を焼く匂いも、川に遺体が浮かんでいるのも。どんな風か、よく分かろうとしてきたのだろうか。


その人の語っていることが、どんな様子かほんとうに近づこうとすること、そこにこころがついて行くこと、そういうことをもっと誠実にやりたいと思った。
絵のまえで目をつぶる。石段の上から、建物の消えた燃えるまちが見えるのを想像する。額の向こうにも続く景色を想像する。海が歩いて行けそうなほど近く感じる、どんな風だろうか、あついだろうがどのようか、匂いは、風は。

展示をみるときいつも、ついキャプションを読むことに集中してしまう。
でも、受け取りたいこと、考えたいことは、対峙している時間のなかにあるはずだと思う。


少し前に詩をつくった。ヒロシマのことを書いた

アスファルトの焼ける臭い 
ジリジリと鳴きやまない声がうるさい
 
真っ青な空にくっきりとした白 
綺麗ではあるけれど 
突き刺す光に 視界が細まる
肌がジリジリと焼けていく
 
ばくだんのおちないまちで
見上げる青
きっとあの色を見ていた
きっとあの色を浴びていた
 
「あっついな」つい口をついて出る
汗がだらりと垂れる
わたしが見ない 赤 黒 灰色 
あと100秒だけ 
100秒じゃアイスも買えないな

 
 

私が見たことがないのは、あらゆる色だったと気づいた
皮膚が焼けた赤、閃光の黄色、灰色の空の向こうに遠いきらめく海の青、真っ黒な身体、黒の中でこちらを向く白い目玉、骨の白、軍服のカーキ、燃えさかる赤、川を流れる黒、雨の黒、流れる血の赤、ガラスの透明、肌に乗せたキュウリの緑

匂いも日々も

青空や緑の木々、夏の暑さがからだを突き刺し、ジリジリと蝉がうるさく鳴く中を歩いているとき、8月6日の朝を想う。あの朝もこんな風に晴れていただろうかと。私はその朝がどんな風に暑く、晴れていたか、実際は分からない。
でも、「良く晴れた朝だった」と聞く。

夏の平和公園は、たくさんの木々に蝉たちがうるさいぐらい鳴いていて、開けた土地からは、木々の隙間にと青空が印象的に見える。そういう風景が私のからだに残っているだけなのかもしれない。
それでも、8月6日の朝を想って「平穏」だった朝を想って見上げてしまう。

平和公園のかさ上げされた土の下には、まちが、家々が、遊び道具が、ひとが、居るのだということ
私が生まれたまちの生活の地面の下に、生活が、ひとが居るということ
きれいにしてしまうことでそれを忘れてはならない

生活の中で、向き合いたいとおもいながら手をつけられないこと

絵を見た後に昼食をとる、肉を食べることは出来ない気分だった
それでもお腹はすくわたしに、あぁそうかとおもう

今日は明日のために寝る


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